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2007/01/25 木曜日 21:51:44 JST |
夕,朝,真昼、私は嘆きうめく、すると、主は私の声を聞いてくださる。 (詩篇55篇17節)
一、ギブオン人の計略( ヨシュア記 9章1−13節)
ギブオン人は実際は近くに住んでいましたが、あたかも遠い国の民のように変装し、イスラエル人と盟約を結ぶためやってきました(6節)。 彼らは 『遠国の民は降伏させて生命を救うことができるが、近隣の国の民は必ず聖絶しなければならない』(申命 20章10ー18節) というイスラエルに対する主のことばを知っていたのでしょうか。 どちらにしてもギブオンの人々は,住民たちの生命を救うため知恵を尽くしています。
彼らがイスラエルを欺いたのは決して正しいことではなく「呪われ」なければならない罪でした (23節)。 しかし、人々の生命を救おうとするその熱心さと、なんとかして救いと和解の道を見い出そうとする探究心とは、私たちも見習うべきところがあります。 なぜなら、いつの時代にも、生命を軽んじ、また、あまりにも知恵を尽くして救いと解決の道を捜し求めようとしない人々が多いからです。
二、欺かれて彼らと盟約を結んだイスラエル人(14−21節)
ヨシュアとイスラエルの人々は、ギブオン人の言ったことを頭から信用していたわけではなく、二度も疑っています(7、8節)。 しかし彼らは、なぜだまされてギブオン人と盟約を結んででしまったのでしょうか。
まずイスラエルの人々は『古びた袋』や『古びて破れたのに継ぎを当てたぶどう酒の皮袋』また『繕った古いはきもの』や『古びた着物』、さらにぼろぼろのパン等々の見えるものに惑わされてしまったように、真相を見抜く洞察力に欠けていました (4、5,12、13節)。
次にイスラエルの人々は、自分たちの強いことをギブオン人にほめられたことによって、またしても油断してしまったのです (9−11節)。
しかし最大の落度は『主の指示をあおがなかった』ことです(14節)。 主の指示を仰ぐことは、自らの無知と無力を認めてへりくだり、自らをしもベとして主に仕えていく人のみができることではないでしょうか。
三、欺いたギブオン人とその結果(22−27節)
ヨシュアとイスラエルの族長たちは、たとえ欺かれたとしても、主にかけて誓った誓いを破ることはできず、ギブオン人を生かしておきました。 ギブオン人はイスラエルに降伏して奴隷となり、会衆と神の家のためにたきぎを割り,水を汲む仕事をさせられました。
ギブオン人の子孫は、ネヘミヤの時代にはイスラエルの民の一部とされ、エルサレムの城壁の修理をまかされています(ネヘミヤ3章7節)。 またイスラエル人も,ギブオン人と盟約を結んだので、結果的には戦わずして彼らを降伏させ、カナンの中央部を征服したことになります。
ギブオン人はイスラエル人を欺きました。 言い換えれば、ギブオン人はイスラエルに『悪を計りました』が『神はそれを、よいことのための計らいとなさいま した』(創世記50章20節)。 これは、ただ計り知れない神の恵みなのです。 |