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		<title>Joomla! powered Site</title>
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		<title>Powered by Joomla!</title>
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		<title>神はただひとり</title>
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		<description>　わたしが主である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　                                                                （イザヤ45章５節) 礼拝メッセージMP3  一、神の国をきよめる。（申命６章４&amp;minus;９節、㈼歴代34章１&amp;minus;７節）　ヨシヤ王は『ユダとエルサレムをきよめ始めて、高き所、アシュラ像、刻んだ像、および、鋳物の像を除いた』(㈼歴代34章３節）彼の時代、ユダとその都エルサレムには、偶像が満ち溢れていました。そのために、民衆の信仰と倫理は乱れて、危機的な状況にありました。ヨシヤがその改革を始めたのは、治世の第12年、まだ20才の時でした。　ヨシヤの改革は徹底していました。イスラエルの全地で偶像を粉々に砕き、すべての祭壇を破壊し尽くしたのです。彼は、若かったこともありましたが、唯一の真の神に対する純粋な信仰によって、徹底的に偶像を破壊し、その国を清めたのです二、神の宮を修復する。（㈼歴代34章８&amp;minus;13節）　６年後、彼は主の宮の修復に着手しました。国の政治的指導者たちを派遣し、宮に納められていた金を大祭司ヒルキヤに渡しました。それは、宮の修復工事をする者たちに渡され、すべての工事は順調に進められました。『この人々は、この工事を忠実に行った。　また、すべて楽器を奏するのに巧みなレビ人がいた』(12節) と言われ、賛美の歌に励まされて工事は進められました。　主に宮を修復することは、イスラエルの人たちにとっては、唯一の神に対する信仰の回復を意味していました。それは、信仰のリバイバルであり、また生活を清めることでもありました。神に対する畏れは、その民の霊性を整え、生活をきよめる。町や国の制度も整えられ、すべてにおいて大きな改革となったのです。このように、宮の修復と霊的回復は、極めて密接な関係にあったのです。三、神の民を整える。（㈼歴代 34章14&amp;minus;33節）　宮の修復をしている時、祭司ヒルキヤは主の律法の書を発見し、書記シャファンを通して王に報告しました。シャファンはそれを王の前で朗読しました。『王は律法のことばを聞いたとき、自分の衣を裂いた』(19節) ヨシヤ王は、その先祖の民が偶像礼拝によって、神の激しい憤りを招いたことを知ったからです (21節)。律法の書、つまり神のことばは、イスラエルの宗教改革に決定的な役割を演じたのです。大祭司ヒルキヤと王によって任命された者たちは、女預言者フルダのもとに行きました。彼女は、律法の書に記されている呪いはすべて実現すると伝えました。神のことばには誤りはない、というのです。宗教改革において、律法の書と共に神の預言者が大きな役割を果たしています。王は発見された書をすべての民に読み聞かせ、それによって民を整えました。それが真実の宗教改革です。</description>
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		<title>本当の生き方</title>
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		<description>　神の国とその義をまず第一に求めなさい。　（マタイ６章33節)But seek first his kingdom and his righteousness, (Matthew 6 : 33 )礼拝メッセージMP3 一、神に信頼する。（マタイ6章25節）　日本が戦争に負けた時、多くの人たちは財産を失いました。住むところもなく、その日の食べ物もないような状態でした。みんなは雨露がしのげる場所があれば、寒さをしのげる場所があれば、幸せだと思いました。でも、すべてが満たされている今日、人々の生活には、本当の満足がありません。心配な事も増えています。私たちはどうでしょうか？　イエスは言われます。『何を食べるか』『何を飲むか』『何を着るか』という『体のこと』についてです。イエスは人間にとって、これらが不必要だと言っているのではありません。こういう事で『心配する』必要はないと言っているのです。「心配する」ということばには「分裂する」とか「乱れる」という意味があります。こういうことばかりに気を取られていると、心が四方八方に分裂し、乱れるのです。「分裂」や「乱れ」は真の神を信頼しないところからきます。真の神を信頼できないと「心配」も増えてくるのです。二、神の働きを知る。（マタイ６章26、28節）　では真の神とはどんなお方でしょう。26節、28節を読んでみましょう。イエスは、そのような人間に『空の鳥を見なさい』(26節)『野のゆりはどうして育つのかよくわきまえなさい』と言われます。空の鳥も野のゆり (アネモネ) も、自然に生きているのではなく、神によって生かされているのです。それでイエスは『あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです』『きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野のはなさえ、神はこれほどに装ってくださるのだから』と言われました。私たち日本人は美しい自然を見て感嘆しますが、聖書はその自然に神の働きがあることを教えています (ローマ㈵章20)私たちは、生きているのではなく、生かされているのです。そのことが分かった時、私たちは神に信頼し、本当の生き方ができるようになるのです。三、神の義に生きる。（マタイ６章33節）　本当の生き方とは、どのように生きることでしょうか？　イエスは言われました。『だから、神の国と神の義とをまず第一に求めなさい』と。ここで最も強調されていることばは『まず第一に求めなさい』で生きる優先順位です。自分とその生涯を第一とするとき、生きる本当の意味が分からなくなり、不安と思い煩いの奴隷となってしまいます。いのちより食べ物、体より着物が大切であると考えるようになってしまうのです。　神の国とその義を第一にするとき、私たちはそのような誤りから救われ、本当の生き方ができるようになります。まず、生きる本当の目的がわかるのです。それは、神の栄光を表し自分を生かす生き方です。次に、すべての不安と思い煩いから解放されますそれは、自分のことを考えすぎ物欲の奴隷となっていることから生じるのです。最後に、生活に必要なものはすべて、神が備え与えて下さる事を知るようになるのです。</description>
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		<title>祈り</title>
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		<description>みこころが天で行われるように地でも行われるように。（マタイ６章10節)   Your kingdom come,   your will be done   on earth as it is in heaven.                                                                      (Matthew 6 : 10 ) 礼拝メッセージMP3 一、信頼の祈り（マタイ６章５&amp;minus;８節）　まことの神を知り信頼して祈る『天にいます私たちの父よ』という呼びかけのことばには、神に対する人格的な信頼があります。パウロは「私たちは御霊によって『アバ、父』と呼びます」(ローマ８章15節）と語っていますが、それは御霊による確信です。二、信頼の祈り（マタイ６章９、10節）　主の祈りの前半は、すべて神にかかわっています。㈵、『御名があがめられますように』、　２、『御国が来ますように』３、『みこころが天で行われるように地でも行われますように』　原語では、美しく統一がとれ、　　語順も整えられ、その意味には発展があります。この地上において、神の御名が汚されることなく、あがめられるようにとまず祈ります。　『御国が来ますように』とは、神の支配がこの世界に実現しますようにという意味で、それはみ　こころが天におけると同じように地上でも行われることでもあります。それによって、人間の　現実の世界が、神の国のようになるのです。わたしたちは、まず神の国とそのみこころの実現　のために祈ります。三、信実の祈り（マタイ６章11&amp;minus;13節）　主の祈りの後半は、日常生活と人間関係にかかわっていきます。１、『私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。』２、『わたしたちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たち  　　を赦しました。』３、『私たちを試みに合わせないで、悪からお救いください。』　ここも、原語では、美しい言葉に整えられています。まず、生活のための祈りで当座の生活に　必要なもののために祈ります。『あすのための心配は無用です』(34節) とも言われていますが、神に信頼するので、明日のパンのためにも祈るのです。『負いめ』は、『罪』とも『負債』とも訳せる言葉ですが精神的、倫理的な意味もあるので『負いめ』と読むほうがよいでしょう。赦した者として、初めて赦しを求めるのです。　（マタイ18章21&amp;minus;35節）頌栄の部分は、最古の写本にはなく、集会や礼拝で唱えられるようになってから加えられたのであろうと思われます。(新改訳聖書欄外注参照）</description>
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		<title>本当の幸福</title>
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		<description>心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（マタイ５章３節）              Blessed are the poor in spirit, for theirs is the kingdom of heaven.                                                                   ( Matthew 5 : 3 ) 礼拝メッセージMP3一、幸福とは（マタイ５章㈵&amp;minus;12節）　この　山上の説教で，イエスは『幸いです』ということばを，九回も繰り返し語っておられます。『幸いです』が山上の説教のキーワードですがギリシャ語ではマカリオイ、へブル語ではアシュレイ。それは『祝福された者たち』の意味です。詩篇 第１篇は詩篇全体の序文と言われていますがそれも『幸いなことよ』ということばで始まっています。そこで描かれている幸いな者とは悪者のはかりごとに歩まず，主の教えに生きている者のことで、神と共に歩み神に祝福されている者たちのことです。　一般に幸福という時、経済的に豊かで家庭的に恵まれていることをいいます。しかし山上の説教でいう幸福は、むしろそれらより逆で、貧しさや悲しみの中にあっても、神に祝福されていることなのです。二、幸福な人たち（マタイ５章㈵&amp;minus;12節）　ここで、幸いな者たちは大きく三つに分けられます。　第一は、『心の貧しい者』『悲しむ者』、『柔和な者』で、特に心の状態が強調されています，彼らは自分ではなく神に信頼し，悲しみの中にあっても他人を理解し、苦難の時にも耐え忍んでいる人たちのことなのです。　第二は、義に飢え渇いている者』『あわれみ深い者』心のきよい者』で特に神との関係が強調されています。神の義に飢え乾き、神の愛をもって人々に接し、神に対して二心のない者たちです。　第三は、『平和をつくる者』『義のために迫害されている者』『わたしのために、悪口雑言を言われたりする』者で、特に人との関係が強調されています。人々と平和に神とキリストのために真実に生きている者たちです。三、幸福の理由（マタイ５章㈵&amp;minus;12節）　なぜ幸いであるのか。イエスは幸いである理由を神の視点から語っています。　第一は、神の国を相続できることです。『天の御国はその人のものだからです』その人は、神の国の民とされ，神の祝福のうちに生きるのです(３節、10節)。　第二は、神の子とされることです。『その人は神の子と呼ばれるからです』その人は、神の子供と呼ばれ、神と共に生きるのです。(８節、９節）　第三は、神の祝福を受けることです(４節、６節）『その人は満ち足りるからです』その人は、悲しみと苦しみの中にあっても，神の祝福に満ち溢れているのです。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（11節、12節）　本当の幸福は、地上における偶然の産物ではなく、神の祝福によってもたらされるのです。神に目を注ぐ時，本当の幸福がわかってくるのです。</description>
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		<title>キリストの再臨</title>
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		<description>主は、号令と、御使いのかしらの声と，神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。　　　　　　（第㈵テサロニケ16節）For the Lord himself will come down from heaven, with a loud commanFor the Lord himself          （１ Thessalonians 4 : 16　） 礼拝メッセージMP3  一、再臨の待望（マルコ13章33&amp;minus;37節）　主イエスは、この世の終りと神のさばきについて多く語り、その時目を覚まして待ち続けるように教えられました。そのさばきと救いの完成は、キリストが昇天された後、キリストの再臨と結びつけて考えられるようになります。キリストの再臨によって，この世はさばかれ、神の国は完成するのです。　主イエスは弟子たちに，繰り返し『目を覚ましていなさい』とさとされました。霊の目を開き，信仰をもち続け、神のさばきに備えるようにと言われたのです。初代教会のクリスチャンたちは、それをキリストの再臨と結び付け，同じ信仰に生きたのです。終末の時代に生きる私たちは、キリストの再臨を待ち望みつつ目を覚まして生きて行かなければなりません。キリストの再臨が近づいているからです。二、再臨の約束（使徒㈵章11節、第㈵テサロニケ４章16、17節）　キリストが昇天された時、二人の天使が約束して告げました。『あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上がって行かれるのをあなたがたが見たと同じ有様で、またおいでになります』(使徒１章11節）神は弟子たちに、キリストの再臨をはっきりと約束されたのです。　使徒パウロも、キリストの再臨について、明確に語っています。『主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます』(第㈵テサロニケ４章16) パウロの表現によると、キリストの再臨は，神のらっぱの響きのうちに勝利の王として行われるのです。キリストは，まず貧しいしもべの姿をとって来られましたが，やがて勝利の王、審判者として来臨されます。三、再臨の意義（第㈵コリント15章51&amp;minus;53節）　使徒パウロは、キリストの再臨の時の出来事について，次のように語っています。『私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちがみな眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終りのラッパとともに、たちまち、一瞬にです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです』（㈵コリント15章 51、52節)。　キリストが再臨される時、死者は朽ちないもの、つまり死を克服した体によみがえります。生きている私たちも、罪と死から完全に解放され，不朽の体に変えられるのです。キリストの再臨は罪と死に対する勝利であり、キリストにある救いの完成です。それまで，私たちは『私たちのからだの贖われることを待ち望んで』(ローマ８章23節)、地上において苦しい戦いを続けています。しかし、キリストの再臨によって，贖われて朽ちることのない体に変えられるのです。キリストの再臨は，救いの完成であるとともに，神の国の実現なのです。キリストはすべての支配、権力を滅ぼし神の国を文字どおり実現されるのです。第㈵コリント15章54ー58節を読みましょう。</description>
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