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2007/1/14 イエスのバプテスマ
作者 Administrator   
2007/01/25 木曜日 23:37:04 JST

『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ』 
                  (マタイ3章17節)


一、バプテスマのヨハネの登場(マタイ3章1−6節)

 イエスが、人々の前に公けに姿を現される少し前に、ヨハネがユダヤの荒野で教えていました。
ヨハネはイエスの親戚で、誕生する前から、預言者としての使命を与えられていました (ルカ1章17節)。
その使命とは、イエスがおいでになる前に、人々が神の前に罪を認め、旧約聖書に約束された救い主を待ち望むように導くことでした。
大勢の人々がヨハネの言葉に心動かされ、遠くから訪れて、罪を告白し、ヨルダン川でバプテスマを受けていました。

二、主イエスのバプテスマ(マタイ3章13ー15節)

 当時 (B.C・27、28年頃) 異邦人がユダヤ教に改宗する時、水の中で身体を洗うバプテスマの儀式が行われていましたが、ヨハネのバプテスマは、そのような従来のものとはまったく意味が異なったものでした。

 ヨハネは人々に、神の前にへりくだって罪を悔い改め、新しく神に従う生活に入るためのしるしとしてバプテスマ(洗礼)を授けましたが、これは異邦人だけではなく、ユダヤ人も受けなければならないものでした。
そのことによってヨハネは、すべての人が神の前には罪人であることをはっきり示したのです。
イエスが、ガリラヤ地方から来てヨハネからバプテスマを受けようとされた時、ヨハネが断ったのも、無理はありません。
神の子であるイエスは罪のない方なのですから、罪を悔い改める必要も、バプテスマを受ける理由もありません。
しかしイエスは、あえてお受けになりました。
15節を読みましょう。

 救い主として私たちの罪の身代わりになるためには、罪を除いて、完全に私たちと同じ人間としての立場をとらなければならないことを、イエスは御存知だったのです。
ですから、人間にとってバプテスマを受けることが正しいことなら、御自身にとっても正しいとされたのでした。
(ヘブル2章17節参照)イエスはバプテスマをお受けになることにより、完全に神であると同時に、完全な人間の立場に身を置かれ、私たちの罪の身代わりとしての資格が十分にあることを示されたのです。


三、神の証言(マタイ 3章16、17節、ヨハネ1章19−35節)

 イエスがバプテスマを受けられると御霊がはとのように下られ
『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ』と天から神の御声が聞こえました。
マタイ3章16、17節を読んでください。
バプテスマをお受けになった時、イエスは、私たちの救いのために贖いの死を受け入れる決心を明らかにされたのです。
神は私たちを深く愛しておられるので、イエスの決心は、神のみこころにかなうことでした。
神は、イエスの尊い使命を喜びをもって高らかに証言されたのでした。
ヨハネ1章32−34を読みましょう。

最終更新日 ( 2007/01/25 木曜日 23:38:40 JST )
 
あけまして 御目出度うございます。
作者 Administrator   
2007/01/25 木曜日 23:34:34 JST
求めなさい,そうすれば与えられるだろう。探しなさい,そうすれば見いだすだろう。たたきなさい,そうすれば開かれるだろう。 7:8 だれでも求めている者は受け,探している者は見いだし,たたいている者には開かれるのだ。マタイ 7:7-8
最終更新日 ( 2007/01/25 木曜日 23:35:33 JST )
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2006/11/5 ヨシュアの訣別説教
作者 Administrator   
2007/01/25 木曜日 23:33:19 JST
あなたがたは,十分に気をつけて、あなたがたの神、主を愛しなさい。   (ヨシュア23章11節)


一、主の業を思い起こそう。=過去(1−4節) 

 晩年のヨシュアがこの訣別のことばを語ったのは
『主が周囲のすべての敵から守って、イスラエルに安住を許されて後、多くの日がた』
っていた時でした(1節)。
人は,苦しみと戦いの中にある時は、さまざまな危険にさらされ、いろいろな誘惑を受けますが,反対に,何事もなく守られて平穏な毎日を送り、しかもそれが長い年月にわたると、緊張感がゆるんで、これがまた堕落の危険性があることを忘れてはなりません。

 このような油断と危険から守られる唯一の秘訣は、過去において私たちのために働かれた主のわざを覚えるとともに、今日私があるのはただ神の恵みによるということを思い起こして、へりくだることです。
このようにする時、私たちは
『貧しさの中にいる道』だけでなく
『豊かさの中にいる道』も知ることができるのです(ピリピ4章12節)。


二、神の律法を守り,主を愛せよとの諭し=現在(5−11節)

 このようにしてヨシュアが指導者たちに主のわざを思い起こさせたのは、彼らが神の律法を守るとともに、主を愛するようになるためです。
この個所には、神の律法を守り,神を愛するための心構えが三つ記されています。

 第一は『断固として』(6節)とあるように,強い意志が必要です。
私たちは、たとえ実行力が弱くても、物事を成し遂げようとする強固な意志があるならば,それを行う力が与えられます。
『意志のあるところに道がある』ということわざのとおりです。

 第二は、主がなさった奇しいわざに驚嘆し、喜んで神に仕えることです。
私たちは
『主が、ことごとく私に良くしてくださったことについて、私は主に何をお返ししょうか(詩 116篇12節)
と、神の恵みに感じ、感謝に溢れて歩むことが大切です。

 第三は『十分に気をつけて』(11節)とあるように,細心の注意を払うことです。
私たちは、熱心さだけではなく知識が必要であり、知恵と思慮深さがなければなりません。


三、主の警告は必ず実現する=将来(12−16節)

 このようにしてヨシュアは『転ばぬ先の杖』として,神の律法を守り、主を愛
することを教えました。
しかし彼は、イスラエルの民が律法を破り主に背き、堕落してしまうならば、必ず滅び失せることも警告しました。

 罪は恐ろしい病原菌のようなものです。
もし私たちが病原菌を撲滅せず,からだの中に侵入したままにしておくなら、病気になり、ついに死に至るように、私
たちが罪を始末せず、それをなおざりにしたり愛したりするならば,罪は必ず私たちを堕落させ、最後は私たちを滅ぼしてしまうのです。
 私たちの将来は、次ぎの二つのうちのどちらかです。すなわち、神に従うことによって主が約束された
『すべての良いこと』が実現するか、それとも神に背くことによって主が警告された『すべての悪いこと』が実現するかです(15節)。
 
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