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彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。 (イザヤ 53章12節 )
For he bore the sin of many, and made intercession for the transgressors. (Isaiah 53 : 12 ) 礼拝メッセージMP3
一、裏切った弟子(マタイ 26章47ー49節)
イエスが神のみこころに従う決心をしてから間もなく、一人の男に導かれた一団が暗闇の中から近づいてきました。一行を案内するのは、イエスの弟子であったイスカリオテのユダです。 その後に、祭司長や長老たちが差し向けた群衆が続きました。しかも彼らは強盗でも捕らえるかのように、手に手に剣や棒を持っていました。 ユダはイエスに近づき、口づけをしました。これはどの人がイエスなのかを知らせるためにあらかじめ決めておいた合図なのです。 愛情のしるしを、ユダは裏切りのために用いたのです。ユダの意図をすでに見抜いておられたイエスは、どんなに悲しい気持ちだったことでしょう。興味深いことに、47節では『12弟子のひとりであるユダ』となっていますが、48節では『イエスを裏切る者』と言い換えられています。
二、預言のとおりに(マタイ 26章 50ー54節、イザヤ 53章) ユダの合図をきっかけに、群衆はイエスを捕らえようとしました。 この時、ペテロはイエスを案じるあまりに、剣で大祭司のしもべの耳を切り落としました。イエスを思っての行為でしたが、イエスは暴力を好まれませんでした。ペテロを止め、その人の耳を癒されたのです (ルカ 22章51節) イエスは、ご自分が捕らえられて十字架につくことが、全人類が罪から救われるためにどうしても必要なことであり、神のみこころであると知っておられたのです。 イエスの十字架は、旧約聖書に預言されていたことでした。イザヤ53章10節を読みましょう。 『自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末永く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によってなしとげられる』とあります。また今日の主題聖句であるイザヤ53章12節には『彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする』と書かれてあります。 イエスが捕らえられ十字架にかけられるのは私たちの罪のためなのです。
三、逃げてしまった弟子(マタイ 26章55−56節) イエスは神のみこころに従い抵抗せずに自分から進んで捕らえられました。けれど、イエスを助けなければならないはずの弟子たちはみな逃げ出してしまいました。 35節を見ると、最後の食事を終えてゲッセマネの園に向かいながら、ペテロは『もし死ななければならないとしても、裏切りません』と豪語しています。ほかの弟子たちも口々に同じようなことを言いました。 ところが、弟子たちはゲッセマネの園での祈りの途中で居眠りをしたばかりか、その数時間後には、捕らえられようとしているイエスを見捨てて逃げ出してしまったのです。 イエスは弟子たちのこうした弱さを見て、どんなに悲しみを感じられたでしょう。 私たちも同じように弱い人間です。イエスは、このような者のため死んでくださったのです。私たちは、このイエスに心からの感謝をささげて従っていきましょう。
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