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わたしが律法や預言者たちを破棄するために来たと考えてはいけない。破棄するためではなく,達成するために来たのだ。マタイ5:17

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2007/01/28 嵐をしずめる
作者 Administrator   
2007/01/28 日曜日 23:02:55 JST
風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。
  (ルカ8章25節)



一、大あらし(マルコ 4章35−38節)

 今日の聖書個所の舞台であるガリラヤ湖は、海面より二百mも低い所にあり、周りは山に囲まれています。
その山から吹き下ろす冷たい空気が湖上で湖面からの暖かい空気とぶつかって、激しい突風を引き起こすことが今でもしばしばあります。

 ガリラヤ湖の向こう岸へ行こうとしたイエスと弟子たちの乗った舟は、そのようなあらしの出会いました。
波をかぶって水が舟の中にいっぱいになりました。
しかし、イエスは舟の後ろでぐっすりと眠っておられたのです。
弟子たちはあわてふためいていました。
彼らはもともとプロの漁師であり、突然のあらしにも慣れていたはずですから、そのあらしがどんなにものすごいものであったかわかるでしょう。
弟子たちは、眠っておられるイエスを起こして言いました。
『先生。私たちが溺れて死にそうでも、何とも思われないのですか』(38節)。

 イエスがあらしの中で寝ておられたことは二つのことを表しています。
 第一は、イエスが極端に疲れておられたということです。
イエスはスーパーマンではありませんでした。
人々を教え、いやす仕事に、イエスの肉体は疲れ果てていたのです。

 第二は、父なる神に対する信頼です。
弟子たちがイエスを起こしたことも、二つのことを表しています。

 第一は、神に対する信頼の欠如。
そしてもう一つは、イエスと風や波の関係がわからなかったということです。


二、風と波を支配するイエス(マルコ 4章39−41節)

 イエスは起き上がって、湖をしかりつけておっしゃいました。
『黙れ、静まれ』(39節)すると、風はやみ、湖面は鏡のように静まったのです。
イエスは
『信仰がないのは、どうしたことです』
と言って弟子たちの不信仰をおしかりになりました。

 信仰とは、世界を主イエスとを結びつけることです。
弟子たちは、この出来事を通して、風や波とイエスとの関係を理解することができました。
『私たちの周りの自然とイエスは無関係ではない。いや、イエスは自然をも支配する方である』
と理解することができたのです。
イエスは私たちの救いだけに関係があるのではなく、全世界を支配する創造主です。
日曜日だけに関係のあるお方ではなく、私たちの毎日を支配し守ってくださるお方です。
弟子たちはボートの中で恐れる必要はなかったのです。
信頼は、イエスがどのようなお方であるかを知ることから始まります。

 私たちが乗っている舟の船長は、イエスです。
神を信じない人はほかの色々な船に乗ってあらしに会います。
お金が船長の舟、木や石で造った神が船長の舟、自分自身が船長の舟。
大あらしが来た時、そのような船長は何もできないで舟と一緒に沈んでしまいます。
イエスの舟もあらしに会います。
しかし、この舟はどんなあらしにも安全なのです。
最終更新日 ( 2007/01/29 月曜日 16:02:17 JST )
 
サイトシステム変更のお知らせ
作者 Administrator   
2007/01/26 金曜日 15:23:27 JST

大変長らくご迷惑をおかけいたしました。
管理者のayaです。

当サイトは「PHP NUKE」を採用していましたが勝手ながら本日2007年1月26日より「JOOMLA」へと システムを変更いたしました。

最終更新日 ( 2007/01/26 金曜日 15:29:12 JST )
続きを読む...
 
2007/01/21 百人隊長のしもべのいやし
作者 Administrator   
2007/01/25 木曜日 23:40:19 JST

「ただ、おことばをいただかせてください。そうすればわたしのしもべは必ずいやされます」  

(ルカ7章7節)


一、しもベに対する愛 (ルカ 7章1−5節)

 主イエスの時代『ものを言う家畜』と『ものを言わない家畜』があると言われていました。
『ものを言う家畜』とは人間の奴隷のことで、ここでは「しもベ」と言われています。
しもベは物や家畜と同じで、主人が生かそうと殺そうと自由でした。
しかし、この百人隊長は病気になったしもべの命を何とか助けようとして、イエスのもとに人を遣わしたのです。
百人隊長の信仰には、愛がありました。


二、謙 遜(ルカ 7章6、7節)

 当時のユダヤはローマ帝国に支配されていました。
ローマ人のほうがユダヤ人より威張っているのが普通でした。
しかし、ローマ帝国の軍人である百人隊長はイエスに言いました。
『あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。』
自分が異邦人であり、神の恵みに関しては、ユダヤ人より後に来る者であることをわきまえていたのです。


三、ことばの権威を信じる信仰(ルカ7章8、9節)

 百人隊長の信仰がほめられた最大の理由はみことばの権威に対する信仰です。

百人隊長は自分の職業から、権威がどのようなものかを学んでいました。
百人隊長が部下の一人に『行け』と命令すればその部下は行き、別の部下に『来い』と言えばその部下は来ますし、『これをせよ』と言うとその通りにする、と言うのです。
なぜ部下はそのように従うのでしょうか。
百人隊長の背後には、ローマ帝国という強大な権威があったからです。
そして、百人隊長のことばはそのローマの権威をおびているので部下が従うということを、百人隊長は知っていました。
権威の性質をよく知っていたのです。

 百人隊長は、自分の職業から学んだ権威の性質をイエスに当てはめました。
『イエスの背後には、ローマ帝国よりも偉大な権威がある。宇宙を支配する神の権威がある。
 だからイエスのことばは権威がある。それで、イエスのことばは必ず実現する』
と信じることができたのです。


四、ことばが実現する (ルカ7章10節)

 しもべは元どおり元気になりました百人隊長が信じたとおり、病気もイエスのことばの権威に従ったのです。

 イエスの言葉は、今は聖書に書かれています。
イエスが直接語られた言葉だけでなく、イエスが弟子たちを通して語られた言葉も、旧約の預言者を通して語られた言葉も、イエスの言葉です。
すなわち、聖書の全体です。
私たちは聖書の言葉に、どれだけ権威を認めているでしょう。
教会にいる時だけで、礼拝堂を出たらイエスの権威は届かないと思って忘れてしまうのでしょうか。
日曜日だけはと思っているのでしょうか。
ある特定のことだけ実現すると思っているでしょうか。

 信仰とは、神のことばである聖書のことばが必ず成ると信じることです。
自分の希望や願いが必ずなると信じることではありません。
神の約束は、私たちの信仰と謙遜を通してどんどん実現していくのです。

最終更新日 ( 2007/01/29 月曜日 16:01:45 JST )
 
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