ランダムみことば

彼がまだ話しているうちに,会堂長の家から人々が来て言った,「あなたの娘さんは亡くなりました。どうして先生をこれ以上煩わすのでしょうか」。しかしイエスは,話されている言葉を聞くと,すぐに会堂長に言った,「恐れることはない。ただ信じなさい」。 マルコ5:35-36

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クート師3件目の音声の追加
作者 Administrator   
2007/03/06 火曜日 22:43:58 JST

クート師のメッセージを追加しました。
かなり古く、聞き取りにくい点もありますが今となっては貴重な記録ですので掲載させていただきました。
音源を提供くださった方に心より感謝致します。

記事はこちら です。 

 
2007/03/04 ゲッセマネの祈り
作者 kyokai   
2007/03/05 月曜日 22:28:36 JST

 わたしの願いではな、みこころのとおりにしてください。
                  (ルカ22章42節)


一、神のみこころを確認する (マタイ26章36−38節)
 弟子たちと最後の食事をなさったイエスは、それから、弟子たちを引き連れてケデロンの谷を通り、オリーブ山にいらっしゃいました。

その山の麓にあるゲッセマネの園で祈るためです。

イエスの心は悲しみと苦しみでいっぱいでした。神であるイエスがなぜこのように恐れ、悲しみ、苦しまれたのか不思議に思うかも知れません。

イエスは神の御子ですが、人間でもあったのです。(ヘブル4章15節)
 イエスは、人間として御自分では犯さなかった全人類の罪を引き受けて死のうとなさっていました。

いわば身代わりの、特別な死に向かわれるのです。そのお苦しみは、人間が単に死や苦痛を恐れるより何倍も激しいものでした。
 ゲッセマネの園に着くと、イエスはペテロとヤコブだけを連れて先に進みましたが、彼らに祈るように命じて(ルカ22章40節)、御自分は少し離れた所に行かれました。


二、神のみこころを選択する(マタイ26章39ー43節)
 イエスはひれ伏して祈られました。

ルカ22章44節には『汗が血のしずくのように地に落ちた』とあります。

イエスはこの祈りの中で御自分の悩みを父なる神にさらけ出しています。

39節を読みましょう。『この杯』とは、全人類の罪に対する神の怒りを人々の身代わりになって受ける苦しみを意味します。

イエスはこの苦しみを避けたいと思いましたが、それ以上に父なる神のみこころがなされることを願っておられました。

イエスの思いは、いつも父なる神のみこころの向けられていたのです。


 約一時間後、イエスが弟子たちのもとに戻ると、弟子たちは眠りこけていました。

『誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい』とイエスは弟子たちにおっしゃいます。
 二度目に祈られた時イエスは勝利に一歩近づいていました。

39節と42節を比較してみましょう。

イエスはゲッセマネの園での祈りを通して,自分の願いや思いを優先させるのではなく,神のみこころを知り,従っていくことの大切さを示してくださったのです。


三、逃げてしまった弟子(マタイ26章44-46節)
 イエスが祈りの中で叙々に勝利を得ていかれる間、弟子たちは悲しみや疲れから眠りこんでしまいました。

しかし、三度の祈りで完全な勝利を得ておられたイエスは、弟子たちをとがめはしませんでした。
 イエスは、十字架の死こそが神のみこころであり、ほかに罪人を救う道はないことをはっきり確認なさったのです。

『時が来ました。さあ、行くのです』今までのすべての悩み、迷い、恐れを乗り越えたイエスのことばはすっきりしていま
すね!
 あなたは苦しみや困難に出会う時どうしますか。

『だめです』『できません』『嫌です』と簡単に片づけてしまうのではなく、神が何を望んでおられるかを知り、真正面から問題に取り組んで、みこころに従っていく勇気と信仰を頂きましょう。

 
2007/02/25 変貌
作者 kyokai   
2007/02/25 日曜日 21:14:13 JST

 御子は神の栄光の輝き、また本質の完全な現れである。
                   (ヘブル1章3節)

一、モーセとエリヤの証言(ルカ9章28−33節)
 イエスは、ペテロとヨハネを連れて山に登りました。祈るためです。
29節を読みましょう。『御顔の様子が変わり御衣は白く光り輝いた』というのは、イエスが本来もっておられる神としての栄光が現されたという意味です。

そればかりではありません。モーセとエリヤがイエスと話し合っています。

モーセは、奴隷となっていたイスラエル民族をエジプトから脱出させた指導者エリヤは旧約聖書に出てくる最も偉大な預言者です。

この二人は、律法と預言者を代表しているのです。
 イエスがこの二人と話しておられたのは、イエスがこれから受けるお苦しみについてでした。

イエスがやがてエルサレムで殺され、三日目によみがえることは、ペテロの信仰告白のすぐ後にイエス御自身の口から予告されていたことでもあります
 (マタイ16章21節)。


 ペテロたちは実は眠くてたまらなかったのですが、目が覚めて、すっかり変ってしまったイエスのお姿と一緒にいるモーセとエリヤを見ました。
ペテロたちはまったく驚いてしまいました。


 モーセとエリヤがイエスから別れていこうとした時、ペテロは口を開きました。
33節を読みましょう。

三人の住いを造ることで、この素晴しい体験を長引かせようと思ったのでしょう。

感激のあまり自分でも何を言っているのか分かっていなかったのかも知れません。


二、天からの確認(ルカ9章34−36節)
 ペテロが話しているうちに雲がわき起こって、イエスとモーセとエリヤを包み込みました。

雲は神の臨在を表しています。見ていた弟子たちは恐ろしくなりました。
すると、雲の中から声がしました。35節を読みましょう。これは神御自身の声です。この声がした時には、もうモーセとエリヤの姿は見えませんでした。

ただイエスお一人がそこにおられました。
 ペテロは先ほど、イエスをモーセやエリヤと同じに扱うという間違いを犯しましたが、神は、イエスだけを残すことによって、イエスがモーセやエリヤとは比較にならない神の御子であることをお示しになったのです。


三、苦難の後の栄光(ピリピ2章6−9節)
 イエスがこの山の上でお示しになったお姿は、神であるイエスの本当のお姿です。


しかし、この栄光を受ける前に、イエスは十字架という苦難を味わなければならないのです。

ピリピ2章6ー9節を読みましょう。

イエスは、ペテロたちが目撃したように、栄光に満ちあふれた神なのですが、神としての在り方を捨てて、人間の姿をとってくださったのです。

それは、私たちのために十字架という苦しみを受けるためでした。

やがてイエスはエルサレムで十字架刑を受けて殺されますが、予告なさったように三日目によみがえります。

ペテロたちが見た栄光にあふれるイエスの姿は、復活の後に現されるイエスの本当の姿だったのです。 

 
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