|
わたしが主である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。 (イザヤ45章5節)
MP3(2007-04-22 唯一の神)
私たちが住む日本では、仏壇と神棚が共存する家庭は珍しくありません。何の疑問もなく、線香をあげお神酒を供えます。そうて、そうする人が神や仏を信じているかというとそうでもありません。非常にあいまいな宗教感ということができると思います。このような環境の中で、はっきりとした一つの信仰を持つということは奇異な事ととられ生活をしていくうえで色々と摩擦が起こり、苦しい経験をさせられることがあります。
一、神の国をきよめる。(申命記6章4−7節、㈼歴代34章1−7節)
紀元前640年代の頃のことです。まだ八才の少年ヨシヤが父アモンの跡を継いで即位しました。彼の祖父も父も、偶像崇拝をして主の前に罪を犯した人でした。そのような邪悪な環境に育ったにもかかわらず、ヨシヤは16才で主を求め、偶像礼拝よりは、まことの唯一の神を信じる道を歩むほうを選びました。
彼は20才になると、ユダとエルサレムに溢れていた偶像の数々(バアル像、アシュラ像やほかの刻んだ像)を壊して取り除き、きよめました。偶像がはびこり、悪の満ちた汚れた地となり、道徳的にも乱れて、ソドムとゴモラのようになってしまっていた危険なときでした。まだ20才の若きヨシヤ王の働きは、たいへん力強いものでした。こんなに若くても、真の神への純粋な信仰は、祈 りによって神の大いなる助けの力を引き出し、大きな働きをすることができるようになったのです。
二、神の宮を修復する(㈼歴代 34章8−13節)
ヨシヤ王は26才の時に、主の宮の修理に取りかかりました。若きヨシヤ王を支えたのは、主への信仰でした。
さて、主の宮の修理工事には、国の指導者たちを派遣しました。また宮の納入金はすべて大祭司に渡されて、そのお金が工事をする働き人たちに支払われるのです。すべては今までと違って正しく執り行われ、工事も万事順調でした。ヨシヤ王の純粋な信仰による改革は、同じ信仰に立つ人々の協力を得て進められたのです。(12節)にあるように、賛美の歌が流れる、信仰と麗しい交わりの中で工事は進められたようです。宮の修復は、イスラエルの人々の信仰の修復をも意味していました。神を第一にしていくことこそ、すべてのの鍵なのです。人々の生活、町や国がおのずと清められ、正されていくのです。神に立ち返ることこそが、大改革のさきがけとなっていったのです。
三、神の民を整える(㈼歴代34章14−33節)
ところが、彼らが心を合わせて宮の修復工事に励んでいる時のことです。祭司ヒルキヤが『モーセを通して示された主の律法の書』を発見しました。
律法の朗読を聞いたヨシヤ王は、先祖たちが偶像崇拝のゆえに、主なる神の怒りを引き起こしたという過去の忌まわしい罪を知って心から悔い改めました。それからヨシヤは、女預言者フルダに人を遣わして神のみこころを伺いました。そして、主からのユダへのさばきが確かであるという宣告を受けたのです。預言者フルダは『律法の書、神のことばにはけっして誤りがなく、すべてそのとおりに神は行う。神のことばこそがまことである』と教えました。しかし、悔い改めの信仰に立っているヨシヤ王に対して平安の約束がありました。
ヨシヤは厳粛な思いだったでしょう。彼は、神の御前に、すべての民を集めて律法の書を朗読し、人々を導きました。主のみことばによる改革こそ、本当の意識改革といえます。まことの神は、唯一の神なのです。ヨシヤ王自身も、律法(神のことば)を守り行うことを、民の前で約束し実行したのです。 神は唯一です。また神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。 (㈵テモテ2:5節)
|