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神は愛です。(第一ヨハネ4章16節) God is love. Whoever lives in love lives in God, and God in them.(1John 4:16 CEV) 神は、人間の罪をさばかれるが、また罪の中にある人間を愛しておられます。その神の愛と、互いに愛し合いなさい、という勧めは、イエスによって説かれ、ヨハネによって強調されています。私たちも神に愛されている者として互いに愛し合いましょう。
一、愛は神から出ている(第一ヨハネ 4章7−11節 私は人を愛することができない、よく聞かされます正直な告白です。生まれつきの人間は、誰でも真実に他者を愛することはできません。ですから互いに愛し合いましょう。と言われても戸惑うだけです。しかし、愛は神から出ていることが分かると、話はまったく別です。神に愛されているが故に、他の者を愛することができるのです。神から愛を受けているので、隣人を愛することができるのです。 『愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです』(11節)この順序と関係が大切なのです。 二、愛は神の臨在を示す(第一ヨハネ4章12−17節)
神を見た者はいません。主イエスは『心の清い者は幸いです。その人は神を見るからです』(マタイ5章8節)と言われました。
ヨハネは『いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです』(12節)と説いています。いずれも『心がきよくあること』『互いに愛し合うこと』と人間の在り方が問われています。愛は神から出たものですがその愛によって互いに愛し合うことが求められているのです。
愛し合うとき、神はそこに臨在される『神は私たちのうちにおられ』とは一人一人の内に住まわれる。とも読めるが、むしろ、愛し合う者たちの間に臨在されると解釈するほうがよいでしょう。神は、聖徒の交わりの中に臨在され、聖霊の働きによって、私たちはそのことを確信することができるのです。それが、聖徒の交わりである教会の本当の姿なのです。
三、愛は神の平安を与える(第一ヨハネ4章18−21節)
『愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します』(18節)人間の心には、深い不安があります。それは何に起因しているのでしょうか。一つは神のさばきです。罪を犯している人間は、刑罰を恐れています。それは、死に直面したときに多くの人々が経験する深い恐れからも、推測できます。もう一つは、人間の不信です。互いに信頼できない人間は、他人から見捨てられることを恐れています。彼の心を支配しているものは、愛でなく不安と不信なのです。
しかし、神の絶対の愛に支配される時、それまで私たちの心をとらえていた不安と不信から解放され平安と喜びと愛に満たされるようになります。そして、それ故に、神を愛する者は兄弟をも愛するのです。神が愛で愛であることは、神の優れたご本質であるとともに優れたクリスチャン倫理であります。そこで、互いに愛し合いなさい。と問う勧めが繰り返し強調されるのです。
私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。 第一ヨハネ4:16節
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