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主の御目はどこにでもあり、悪人と義人を見張っている。 (箴言15章3節) The eyes of the LORD are everywhere, keeping watch on the wicked and the good.(Proverbs15:3 NIV) 礼拝メッセージMP3
一、アハブ王の罪(第一列王21章1−16節)
事の発端はアハブが宮殿の近くのイズレエル人ナボテ(外国人ではなくイスラエル人、サマリヤの北方にあるイズレエルという町の住人)のぶどう畑を欲しがったことでした。
アハブはその土地を無理やり奪おうとしたのではない。正式に交渉を申し出ています。この時点でアハブの行動は理にかなっているように思えます。しかしイスラエルの土地制度を理解したとき、アハブの申し出の非常識さがわかるのです。
ナボテが断りの理由とした(3節)ように、イスラエルにおいて土地は神が分け与えたものでした。その土地が他人の手に渡らないように7年ごとの借金の免除とか50年目ごとのヨベルの年の規定とか様々なおきてが定められていいました(レビ25章)。やがて救い主を生み出すことになる神の民の歴史を絶やさないようにするための特別な規定です。 このことを知らされてなお土地を求めたアハブ夫妻の行動は、単なる専制君主のわがままではなく、神に直接背く罪でした。ましてナボテを、王と『神』を呪った(10節)と偽証して殺すことは『十戒』を破る大罪でした。(出 20 章16節)
二、エリヤの糾弾(第一 列王 21章17−26節)
エリヤは直ちに主の命令によりアハブのもとに出向き、罪をはっきりと糾弾しました。エリヤがアハブの罪を『主の目の前』(20節)で犯した罪であると語る時、ダビデの罪を糾弾した預言者ナタンの行動を思い出させます(第二 サムエル12章)。
本来、預言者の働きはこのように誰をも恐れず、特に王に対して神の前での善悪をはっきりさせることでした。
カナンの周辺の国々にあっては、王は超越的な存在であり、絶対的な権力をもっていました。王の判断が全ての基準であったのです。しかし、イスラエルにおいては、主なる神のみが絶対者であられるのです。たとえ王であっても神の前にはほかの人々と同様に、神のおきてを守ることが求められる一介の人物でしかなかったのです。
三、アハブの中途半端な悔い改めと神のさばき (第一列王21章27−29節)
アハブはエリヤから罪の大きさを知らされ悔い改めましたが、外国人である妻イゼベルの影響でその悔い改めは中途半端に終りました(ただしオムリ、アハブ、アハズヤ、ヨラムと続くオムリ王朝に関して、聖書はその家柄について語っていないが、歴史家 マルテイン・ノートは、オムリ王朝がアラビヤ系の外国人王朝である可能性もあるとしている)。
イゼベルは夫アハブの死後もアハズヤ、ヨラムの時代に皇太后として君臨しましたが、ついにエフーに殺されました。(第二列王 9章30−37節) この世において権力があるかないかではなく、神に従うかどうかが人生を真に決めるのです。
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