ランダムみことば

激しい風あらしが起こり,波が舟の中に打ちつけて,舟はもはや水でいっぱいになるほどであった。彼自身は船尾にいて,まくらをして眠っていた。そこで彼らは彼を起こして告げた,「先生,わたしたちが死にかかっていても平気なのですか」。彼は目を覚まし,風をしかりつけ,海に言った,「静まれ! 静かになれ!」 風はやみ,大なぎになった。 彼は彼らに言った,「なぜそんなに恐れるのか。信仰がないのはどうしてか」マルコ 4:37-40

ユーザメニュー

リンク登録
ログアウト

ログインフォーム

●ログインなしでも自由に記事を閲覧できます。





パスワードを忘れました?
未登録ですか? 新規登録
●ログインするにはメンバー登録が必要です●メンバー登録にはニックネーム、メールアドレス、任意のパスワードを登録します。●メンバー登録は無料です(記事を投稿する権利があるかないかの違いです)。

オンライン状況

現在
ゲスト 6 人
がオンラインです

RSS配信

Home
最初の弟子
作者 kyokai   
2010/07/25 日曜日 09:14:56 JST

 『わたしに従って来なさい』        (ヨハネ1章43節)

"Follow me".(John 1 : 43 )New Internastional Version.

礼拝メッセージMP3礼拝メッセージ

一、バプテスマのヨハネの二人の弟子たち(ヨハネ1章35ー39節)

 バプテスマのヨハネは、イエスが公に人々の前に現れると『見よ、世の罪を取り除く神の子羊と宣言し、イエスの時代が来たことを伝えました(29ー34節)。
 そのような時、イエスが歩いていかれるのを見つけて『見よ、神の子羊』と一諸にいた二人の弟子をイエスのほうに促したのです。弟子たちは、それを聞くと、イエスについていきました。この弟子のうち、一人はペテロの兄弟のアンデレであり、もう一人はゼベダイの子ヨハネであると言われています。
 イエスは、ついて来る二人に気づいて『あなたがたは何を求めているのですか』と問われました。しかし、二人は、それに直接には答えず、宿泊先を尋ねます。この時彼らは、イエスを『ラビ』(先生)と呼びした。ヨハネから教えられたイエスを新しい『教師』として認めつつ、慎重にこのイエスに接近したのです。
 イエスは、『来なさい。そうすればわかります』とお答えになりました。それは単に宿泊の場所を示す以上に『救い主』としての目的を明かすという意図だったのでしょう。


二、シモン・ペテロを導くアンデレ(ヨハネ1章40ー42節)

 ヨハネの弟子たちは、ヨハネの証言の通りであったことを確認したのでしょう。つまりヨハネではなくイエスこそが『メシヤ』(救い主)あるということをです。そして、アンデレはすぐ兄のシモンに『私たちはメシヤに会った』と語り、彼をイエスの元に連れてきます。
 イエスはシモンに目を留め『あなたをケパ (訳すとペテロ) と呼ぶことにします』と言われました.ケパとは「岩」という意味です。勿論、この時点においては、まだその名にふさわしい人物ではありませんでした。主イエスは、やがてペテロが素晴らしい信仰告白をして主に仕えるようになることをご存知で、それを先取りして、そのように呼ばれたのでしょう。
 マタイ16章13−20節を読みましょう


三、ピリポとナタナエル(ヨハネ1章43ー51節)

 ペテロを招かれた次の日、イエスはピリポを見つけて弟子となさいました。ピリポはイエスとの人格的なかかわりの中でイエスをメシヤと信じ、今度はナタナエルに向かって『私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです』と言います。
 しかし、ナタナエルという人も慎重でした。しかも、ナザレという町は『救い主』に出身地としてはあまりにもみすぼらしく見えました。けれどピリポは『来て、そして、見なさい』と勧めました。彼はイエスを説明するのではなく、直接にイエスに会わせようとしました。
 47節を読みましょう。ナタナエルは、出会う前から自分のことを、しかも自分の心の内をも知っているイエスに驚き、イエスを教師、神の子、イスラエルの王だと告白します。勿論十分な告白ではなかったでしょう。イエスも『さらに大きなことを見ることになります』と言われました.こうして、イエスの最初の弟子たちの歩みが始まったの歩みが始まったのです。

最終更新日 ( 2010/08/01 日曜日 13:46:01 JST )
 
悪魔の試み
作者 kyokai   
2010/07/18 日曜日 08:56:30 JST

 あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい。(ルカ4章8節)

Worship the Lord yoyu God and serve him only.(Luke 4 : 8 ) New Intenational Version.

礼拝メッセージMP3礼拝メッセージ

一、第一の試み(ルカ4章1−4節)

 イエスは聖霊の導きによって荒野に行かれました。40日40夜の断食の末、極度の空腹を覚えるイエスに悪にがささやきます。あなたが神の子なら』は『あなたは神の子だから』と断定する条件文。悪魔は、イエスが神の子であることを認めたうえで揺さぶりをかけます。以下すべての試みが同様です。
  『石をパンにせよ』という誘惑に対してイエスは、申命記8章3節のことばを引用して『人はパンだけで生きるのではない』と答えられました。マタイ福音書には、後半の『神の口から出る一つ一つのことばによる』も記されています。
 イエスの神に対する絶対の信頼と神のことばによって生きるという信仰の宣言がここにあります。


二、第二の試み(5ー8節)

『またたく間に世界の国々を全部見せ』と、ルカは、これが幻であることを暗示します。『世界の国々』には、当時ユダヤを支配していたローマ帝国も含まれます。
 この誘惑は、イエスに政治的支配、権力による主権の確立を約束するものでしたが『私を拝むなら』という条件がついていました。イエスは申命記6章13節を引用し『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい』と書いてあると言って誘惑を退けられました。権力よりも『苦難のしもべ』(イザヤ52章13節ー53章12節の道を選ばれたのです。この世はまさに悪魔の支配下にあるように思われます。
 しかし、『地とそれに満ちるもの、世界とその中に住むものは主のものである』
                           (詩篇24篇1節)。
三、第三の試み(9ー13節)

  悪魔は聖書に精通しており、聖書のことばを用いて誘惑することもできます。悪魔が用いた聖句は詩篇91篇11、12節ですが、ここでも悪魔は『すべての道で』を欠いて、本来の意味を曲げた。詩篇の作者の意図は、わざと危険を冒して神の守りを試すことを勧めるのではなく、みこころに従って歩む道にはどこにでも神の守りがあるという約束です。

 イエスが引用されたのは、荒野で『主は私たちの中におられるのか。おられないのか』と言って主を試みたイスラエルの民について、主が『あなたの神、主を試みてはならない』と諭したことばです (出エジプト17章、申命記6章17節)。ここでもイエスは、神を信じ、神に従うべきことを強調されたのです。

最終更新日 ( 2010/07/25 日曜日 13:10:51 JST )
 
バプテスマを受ける
作者 kyokai   
2010/07/11 日曜日 10:17:03 JST

天からこう告げる声が聞こえた。『これは、私の愛する子、わたしはこぶ』                       (マタイ3章17節)

And a voice frontheaven said "This is my Son, whom I love; withhimi am well pleased." (Mattrew 3 : 17 )  New Intenational Version

一、バプテスマのヨハネ(マタイ3章1−6節

礼拝メッセージMP3礼拝メッセージ

 紀元26年頃、神のことばが荒野でザカリヤの子ヨハネに下った (ルカ3章2節)。彼はイエスの親戚であり(ルカ1章36節)生まれる前から『主の前に先立って行き、その道を備え』ることが定められていました。(1章76節)つまり、やがてキリストによって始まる神の国の支配を迎える準備をすることが彼の使命であり、具体的には、人々の罪を大胆に指摘して悔い改めさせ、罪を赦されるためのバプテスマを授けること、人々の心をメシヤであるキリストに向かわせることでした。
 当時は異邦人がユダヤ教に入るために割礼とともにバプテスマを受けたが、ヨハネのバプテスマは、自分の罪を認めて悔い改め、やがてメシヤの来臨によってその罪が赦される
という信仰の告白でした。彼はバプテスマのヨハネと呼ばれ、そのいでたちや暮らしは、 エリヤの再来と預言されるにふさわしいものでした(4節、マラキ4章5、6節、㈼列王1章8節)。
 ローマ帝国の支配下にあって苦しい生活を強いられていた人々は、全地域から出て来てヨルダン川でバプテスマを受けました。


二、バプテスマを受けたイエス(マタイ3章13−15節)

 イエスのバプテスマについて、すべての福音書が記録しています。ヨハネの宣教とバプテスマに賛同しておられたイエスは、バプテスマを受けるという明白な目的をもってガリラヤからヨルダンを訪れ、バプテスマを受ける人々の列につかれました。
 イエスが誰であるかを知っていたヨハネは、最初、イエスの申し出に躊躇しました。ヨハネは自分の立場を認識していたし、罪のない方を悔い改めのバプテスマを施すことはできないからです。しかしイエスは『すべて正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです』と言われました。バプテスマを受けられたのは、罪の悔い改めのためではなく、神のみこころに従うためでした。『主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです』(ヘブル2章17節)とあるように、人類の救いの計画を達成するために、どうしても必要なことでした。罪のないお方が、完全に人間の立場に身を置いて下さったのです。


三、神の証言(マタイ3章16、17節)

 バプテスマを受けて水から上がられたイエスは『天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった』『神の御霊』はルカ3章22節では『聖霊』となっており、『鳩』は当時、神の御霊を表すために象徴的に用いられていました。続く天からの声によって、
イエスが神であり、メシヤであることが明確に示されました。創世記 22章2節、詩篇2篇7節、イザヤ42章1節などを引用したことばで律法、詩篇、預言者という旧約聖書の全体を用いた神の証言と言うことができます。
 この超自然的現象に接したバプテスマのヨハネは『私は見たのです.それで、この方が神の子であると証言しているのです』(ヨハネ1章34節)と述べています。

最終更新日 ( 2010/07/20 火曜日 05:30:33 JST )
 
続きを...
<< 最初 < 戻る 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 次へ > 最後 >>

結果 5 - 8 of 263
クリスチャン掲示板
Image
無料画像、素材、ダウンロード

リンク:BLAQLO

Christian Arts & MusicBLAST 手作りアクセサリー販売や音楽スクールのサイト

ブラスト

リンク:Heaven's Seed

KIDS&ADULTクリスチャンTシャツ

ヘブンズシード・Tシャツ・雑貨・クリスチャン・レゲエ

リンク:飢餓対策

日本国際飢餓対策機構 は、人間の尊さを重んじ地球家族に奉仕する非営利の NGO(民間援助団体)です

日本国際飢餓対策機構

 
© 2010 東大阪キリスト教会:レオナードクート:礼拝メッセージ:聖書:愛、喜、平和:ペンテコステ
Joomla! is Free Software released under the GNU/GPL License.
Translation is Joomla!JAPAN