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あなた方は聖書の中で読んだことがないのか。 建てる者たちが退けた石,それが隅の親石となった。これは主から生じたことで,わたしたちの目には不思議なことだマタイ21:42

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キリストの再臨
作者 kyokai   
2008/04/06 日曜日 14:47:49 JST

主は、号令と、御使いのかしらの声と,神のラッパの響きのうちに、

ご自身天から下って来られます。      (第㈵テサロニケ16節)

For the Lord himself will come down from heaven, with a loud comman

For the Lord himself          (1 Thessalonians 4 : 16 )

 

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一、再臨の待望(マルコ13章33−37節)
 

主イエスは、この世の終りと神のさばきについて多く語り、その時目を覚まして待ち続けるように教えられました。そのさばきと救いの完成は、キリストが昇天された後、キリストの再臨と結びつけて考えられるようになります。キリストの再臨によって,この世はさばかれ、神の国は完成するのです。

 主イエスは弟子たちに,繰り返し『目を覚ましていなさい』とさとされました。霊の目を開き,信仰をもち続け、神のさばきに備えるようにと言われたのです。

初代教会のクリスチャンたちは、それをキリストの再臨と結び付け,同じ信仰に生きたのです。終末の時代に生きる私たちは、キリストの再臨を待ち望みつつ目を覚まして生きて行かなければなりません。キリストの再臨が近づいているからです。

二、再臨の約束(使徒㈵章11節、第㈵テサロニケ4章16、17節)
 

キリストが昇天された時、二人の天使が約束して告げました。

『あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上がって行かれるのをあなたがたが見たと同じ有様で、またおいでになります』(使徒1章11節)神は弟子たちに、キリストの再臨をはっきりと約束されたのです。

 使徒パウロも、キリストの再臨について、明確に語っています。『主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます』(第㈵テサロニケ4章16) パウロの表現によると、キリストの再臨は,神のらっぱの響きのうちに勝利の王として行われるのです。

キリストは,まず貧しいしもべの姿をとって来られましたが,やがて勝利の王、審判者として来臨されます。

三、再臨の意義(第㈵コリント15章51−53節)
 

使徒パウロは、キリストの再臨の時の出来事について,次のように語っています。

『私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちがみな眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終りのラッパとともに、たちまち、一瞬にです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです』(㈵コリント15章 51、52節)。


 キリストが再臨される時、死者は朽ちないもの、つまり死を克服した体によみがえります。生きている私たちも、罪と死から完全に解放され,不朽の体に変えられるのです。

キリストの再臨は罪と死に対する勝利であり、キリストにある救いの完成です。それまで,私たちは『私たちのからだの贖われることを待ち望んで』(ローマ8章23節)、地上において苦しい戦いを続けています。

しかし、キリストの再臨によって,贖われて朽ちることのない体に変えられるのです。キリストの再臨は,救いの完成であるとともに,神の国の実現なのです。

キリストはすべての支配、権力を滅ぼし神の国を文字どおり実現されるのです。第㈵コリント15章54ー58節を読みましょう。

最終更新日 ( 2008/04/06 日曜日 23:34:28 JST )
 
弟子に現れたイエス
作者 kyokai   
2008/03/30 日曜日 13:24:39 JST

 道々お話しになっている間も,聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。                                        (ルカ 24章 32節 )

 "Were not our hearts burning within us while he talked with us on the road and opened the Scriptures to us?"
                           ( luke 24 :32 )

 

礼拝メッセージMP3礼拝メッセージMP3

一、エマに行く道で(ルカ 24章13ー27節)
 

イエスが復活された日、二人の弟子がエルサレムからエマオに向かって歩いていました。
約11Kmの道中、二人はイエスの十字架、その死、三日目のよみがえりについて熱心に論じ合っていました。彼らはイエスがイスラエルを救ってくださると期待していたのですが、イエスが死んでしまったので絶望していました。彼らは、イエスが生き返られたという仲間の女たちの話も半信半疑でした。心も足取りも重く,とぼとぼと歩いていると,もう一人の旅人が近寄って来ました。

この旅人は彼らの話し合いに加わりました。二人は,この旅人がエルサレムであれほど話題になった出来事を知らないのに驚きながら、自分たちの救い主について話しました。

するとこの道連れは 二人に『キリストは  苦しみを受けて  栄光にはいる』(26節) という預言が成就したことや聖書全体の中からキリストに関しての事柄を説明し始めました。

二、イエスに気づいた弟子たち(ルカ 24章 28ー35節)

エマオに近づいて、この道連れは,なおも旅を続けそうな気配でしたが、二人は一諸に泊まるように勧めました。夕食が始まると,この人は二人にパンを裂いて渡しました。その時、二人は,共に歩んだ旅人がイエスだったことに気がついたのです。はっとした途端に,イエスの姿は見えなくなりました。
 

二人の弟子は道々話し合っていた時、どうして旅人がイエスだと気づかなかったのでしょうか。

また、イエスは、二人に最初からご自分を明らかにされなかったのでしょうか。それは二人の『目はさえぎられて』(16節) いたからです。イエスだと分からなかったのは,二人の目に疑いがあったからです。二人はそれほど絶望していました。二人にとって、イエスの復活は信じ難いことでした。

ところが二人が『いっしょにお泊まりください』(29節) と心から招いて中に入っていただき食事で交わりをした時『彼らの目が開かれ、イエスだとわかった』(31節) のです。
 

復活の主はこのように、あなたから招かれるのを待っておられます二人の目が開かれたのはどこでしたか。夕の食卓です。家庭の日常茶飯事の中で,霊的な信仰の目が開かれて復活の主を見いだし,交わり、日々共に歩んでいけるのは、なんと幸いなことでしょう。復活の主に気づいた二人の弟子はエマオへの道中で自分たちの心の中に燃えるものを感じたことを思い出しました。復活のイエスは、このように、信じる人々の心を燃やし、人生に喜びと希望を与えてくださるのです。
 

あなたは復活の主に出会っていますか!まだ出会っていないなら,心を開いて、イエスに中に入はいっていただきましょう。

もしあなたが復活の主と出会っていないなら,あなたは日々、主と交わっていますか。あなたは心が燃えている生活を送っていますか。

もしあなたがその体験をしていないなら,何かイエスと交わることをさまたげるものがないか、今静かに心の内を探り,祈りましょう。

最終更新日 ( 2008/03/30 日曜日 16:51:55 JST )
 
死に勝利したイエス
作者 kyokai   
2008/03/23 日曜日 14:47:53 JST

 あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。
ここにはおられません。よみがえられたのです。 ( ルカ 24章5、6節 )

"Why do you look for the living among the dead?   He is not here; he has risen!

             ( Luke 24 : 5、 6)

 

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一、墓に行った女たち(ルカ 24章1−12節)
 

イエスの死から三日目、明け方早く女たち即ちマグダラのマリヤとヨハンナとヤコブの母マリヤは,準備しておいた香料を持ってイエスの墓にやって来ました。この香料をイエスの死体に塗るためです。しかし,入り口にあるはずの大きな石が,墓からわきに転がしてあり、中に入って見ると
イエスの体はそこにはありませんでした。

二、よみがえられたイエス(ルカ 24章4−8節)
 

主イエスの体はどこえ消えてしまったのでしょう。女たちは空っぽになった墓の前で、途方にくれていました。

すると、どうでしょう。キラキラ光り輝いた衣を着た二人の人が、女たちの近くにやって来るではありませんか。女たちは恐ろしさのあまり、顔を地面に伏せたまま上げることができませんでした。
 

この不思議な人たちは,何といったでしょうか。5−7節を読みましょう。そうです、イエスは生きているといいました。神の御子イエスが弟子たちに話されたとおりになりました。
つまり『多くの苦しみを受け,長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ,殺され,三日目によみがえら』れたのです(マルコ8章31節)。女たちは、イエスの語られたみことばを思い出しました。

三、驚く弟子たち(ルカ24章9−12節、ヨハネ20章3−8節)
 

女たちは墓から戻ると十一弟子とそのほかの人たち全部に、今体験したこと一部始終を報告しました(墓の中が空になっていた、二人の御使いが現れて、「イエスがよみがえられたと語った」)そんなことが本当に起こり得るでしょうか。

女たちの報告を聞いた使徒たちは、それを『たわごと』(ルカ 24章11節) つまり精神が狂ってしまったためのうわごととして受け止め,まったく信用しませんでした。死んだはずの人がよみがえるなどということは、まったく想像することができなかったのです。
 

ただぺテロと『もう一人』弟子ヨハネはイエスの墓の方へと走って行きました。若いヨハネはぺテロより速かったので,先に墓に着きました。けれども墓の中には入らずに、体をかがめてのぞき込み、イエスのなきがらを包んでいたはずの亜麻布がそこに置いてあるのを見つけました。やがてぺテロが到着します。

彼は躊躇せずに墓の中に入りました。すべてのことに積極的、行動的なぺテロの性格がよく表れています。ぺテロはヨハネと同じように,亜麻布があるのに気づきます。さらに離れた所に、イエスの頭に巻かれていた布ぎれが巻かれたままになって置いてあるのも見ました。
 

この時、先に到着していたヨハネも中に入って来ます。さあ,彼の目の前の光景を見てどうしたでしょうか。ヨハネ 20章8節を読みましょう。そうです『見て,信じ』ました。今,何か素晴らしいことが起きているということを素直に心の中に受け入れたのです。

『空になった墓』は、実はイエスが私たちのために確実によみがえってくださったこと、つまり復活をあかしするためであったのです。 

最終更新日 ( 2008/03/23 日曜日 21:20:45 JST )
 
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