|
主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。…… …… 私たちの神に帰れ。豊かに赦して下さるから。(イザヤ55章6、7節) Seek the LORD while he may befound: call on himwhile he is near. Let him turn to the LORD , and he will have mercy on him, and to our God, for he will freely pardon ( Isaiah 55 : 6~7 ) New International Version 礼拝メッセージMP3
一、父の愛(ルカ15章11ー16節) まず、イエスの語られた「放蕩息子」の例えから学びます。 ルカ15章11、12節を読みましょう。二人の息子のうち弟が、父に、当然のことのように財産の分け前を要求しました。ユダヤの律法に従って、いずれ弟息子にも父の財産が分配されます。けれど、父が元気なうちに、自分のほうから要求するとは、なんということでしょう。これでは父の遺産を『死ぬのが待ちきれませんから、今下さい』といっているのと同じです。しかし、父は、彼の要求を聞き入れて、弟息子に財産をわけてやりました。律法では父親が死んだ時、兄弟が二人の場合、兄は弟の二倍の分け前をもらうことになっていました。弟の分け前は兄の半分もらうことになっていました。(申命21章17節)生前贈与の場合は九分の二しかもらえませんでした。 こんな方法で親から与えられた財産が、有意義に使われるはずがありません。彼はその金を湯水のように使ってしまいました。13ー15を読みましょう。最後には、ユダヤ人が汚れた動物としている豚の世話に雇われ、そのえさを食べたいと思うほど飢えて、それさえも誰もくれないほど、落ちぶれてしまいました。 このようなどん底の苦しみを味わって、彼はやっと、自分が神と父とに対して大きな罪を犯したことに気づきました。 *カルビン曰く=『神認識があって初めて自己認識が与えられる』
第二、本心に帰った弟息子(17、19節)。 それで、今までの罪を心から悔いて、息子としてではなく、雇い人として働かせてもらうつもりで、家に戻る決心をしました。 *この『雇い人』とは季節労働者を意味し、同じ使用人の中でも常勤の「召使い」の 次の最低の立場の者でした。 第三、走り寄る神(20−24)
ところが父は、疲れきった姿で家に向かって帰ってくる息子を、遠くに見つけた途端に、自分のほうから走って出迎え、彼を両腕にしっかりと抱きしめたのです(20節)。何と感動的な情景でしょうか。たぶん父は、息子が帰って来るのを、毎日神に祈りながら待ち続けていたのでしょう。そればかりではありません。罪を悔い改めた(21節) 彼を今までどうりに息子として受け入れ (22節)、盛大な祝宴を開いたのです(23、24節)。息子は初めて、息子を思う父の気持ちが理解できたのではないでしょうか。 この父のように、私たちの父なる神は、私たちを愛して下さって、私たちが御心にふさわしく成長することを願っておられます。
|