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自分の命を見いだす者はそれを失い,わたしのために自分の命を失う者はそれを見いだすだろう。マタイ 10:39

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2007/08/26 シモン. ペテロ(2)
作者 ushi   
2007/08/26 日曜日 15:29:01 JST

  あなたは、私に従いなさい。             (ヨハネ 21章 22節)
 

       You must follow me.   (john 21 :22 )

 

 礼拝メッセージMP3礼拝メッセージMP3 

一、イエスに呼びかけられる(ヨハネ 21章 1−14節) 

ペテロにとって、一つの冷却期間が訪れます。しかし、イエスにお従いした夢見るような3年間の興奮は、まだ完全に冷めきったとは思われません。実際、ペテロはこれから先、イエスとのかかわりでどんな働きをすればよいのか見当もつかなかったでしょう。イエスのいなくなった現実の中で、ペテロは、イエスとの思い出を心の中にしまいこみ、今日の糧を求めて、再び慣れた網を手にしたのです(3節)。
 そんなペテロに、イエスは再びご自身を現されました。初めてペテロがイエスにお従いした時を再現するかのような場面でもあります(ルカ五章1−11節)。ペテロはこの時、重い網の感触に、イエスを全身に感じた、あの最初の時を思ったのではないかと想像されます。ペテロの心は再び興奮にうち震えたのです。

 

二、イエスの取り扱い(ヨハネ21章15−17節)
 

もう一度、イエスにお従いしたい。けれども、記憶に新しい裏切りの失敗は、その思いを邪魔しているようでもあります。心の深みをいやしきれないペテロを、イエスは取り扱われます。
 

イエスはペテロに『わたしを愛しますか』と尋ねられます。以前のペテロであれば『愛しています』と自信満々に断言してはばからなかったでしょうに、最早そんな力強さは失せていました。むしろ『愛しますか』と問われるたびに、過去の失敗が剣となってペテロの心を苦しめているかのようです(17節)

 ヨハネは、イエスとペテロの会話を、ギリシャ語で書き留めた際、フィレオーとアガベーの使い分けをしました。それは、イエスのお取り扱いの妙味を伝えたかったのかもしれません。つまり、三度目のイエスの問いに使われたフィレオーということばには、心もとないペテロの愛を引き上げるようにペテロの目線まで下りてきて語られるイエスの優しい心遣いを感じさせられます。

三、イエスに使命を与えられる(ヨハネ21章18−23節 )

 イエスは、ペテロの心の痛みをいやし、新たな使命を与えようとされます。イエスとのかかわりで、どんな働きをすればよいのか見当もつかなかったペテロに『羊を飼う』努めが明らかにされます。
 

実に神は、私たち一人一人にも、御計画をもっておられ、それを明らかにされるでしょう。
 しかも、与えられた使命は個人的な務めでもあります。その務めにおいてライバルをもつ必要はありません(21節)。

使命は個別に与えられます。大切なのは、失敗しても、主は絶えず私たちを覚え、取り扱い、励まして、使命へと導いて下さることに対して忠実にこたえることなのです。

最終更新日 ( 2007/08/27 月曜日 11:42:47 JST )
 
2007/08/19 シモンペテロ(1)
作者 ushi   
2007/08/19 日曜日 14:31:38 JST
 わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。                                                               (マタイ4章19節)

 

"Come, follow me," Jesus said, "and I will make you fishers of men." 

                  (Matthew  4 : 19)

 

一、イエスを知る(ルカ5章1−7節)
 
主イエスが神のことばを伝え始めてそれほどたたない頃のことです。
すでにたくさんの人がイエスの話を聞きに来るようになっていましたがあまりに人が多いので、イエスは、漁を終えて網を洗っていた漁師のペテロに頼んで舟を湖に出してもらい、湖の上から岸にいる人々にお話しになりました。
3節を見ると『シモン』とありますが、ペテロです。ペテロは以前、兄弟のアンデレに連れられてイエスに会いに行ったことがありますが、この時にイエスがペテロという名前を付けて下さったのです(ヨハネ1章40−42)。
 お話が終わると、イエスはペテロに舟を沖に出して魚を捕るようにおっしゃいました。
実はペテロたちは前の晩に一晩中漁をしていたのですが、何度網を降ろしても魚は一匹も取れなかったのです。
イエスがペテロのところにいらっしゃったのは、何も取れないまま漁から戻って来て暗い気持ちで網を洗っていた時でした。きっと疲れきっていたはずです。もう沖へ行って網をおろしたくなかったでしょう。それにイエスはもともと大工ですから(マルコ6章3節)魚や湖のことなら漁師のペテロのほうがよほど詳しいのです。けれど、ペテロはイエスのことば通りにしました。どおせ何も取れないだろうと思っていたかもしれません。
しかし、イエスのことばに従った時、驚くはど多くの魚が取れたのです。(5−7節)

二、罪を自覚する(ルカ5章8、9節)
 
5節ではイエスを『先生』と呼んだペテロが、8節では『主よ』と呼びかけていることに注目して下さい。ペテロはイエスが権威あるお方だということを知りました。『このお方は、私の心の中まで見通しておられるに違いない』ペテロは、自分の心が罪でいっぱいであることを自覚し恐れおののき、イエスの足元にひれ伏して告白したのです。

三、イエスに従う(ルカ5章10、11節 )

 ペテロだけではありません。仲間のヤコブやヨハネも同じでした。イエスは、ひれ伏すペテロに優しいことばをおかけになりました。10節を読んで下さい。
『人間をとる』とは、人をイエスのところに連れてくることです。イエスはペテロに大切な使命を与えて下さったのです。
 どんなにペテロはうれしかったでしょう。自分の心が罪深いことを自覚してすっかり沈み込んでいたところに、素晴らしい使命が与えられたのです。
ペテロたちは、舟を岸に着けると、仕事も、舟も、何もかも捨てて、イエスに従いました。イエスの弟子となり、イエスと一緒に生活し、イエスのおいでになる所にはどこえでも一緒に行くのです。
 今日の聖句をもう一度注目して見ましょう。
イエスは私たちにも『わたしについてきなさい』とおっしゃっています。これは、私たちが皆、家や仕事を捨ててイエスに従わなくてはならないということではありません。ほかのものではなくイエスを自分の生活の中心に置くということなのです。


最終更新日 ( 2008/02/05 火曜日 11:10:39 JST )
 
2007/08/12 みことばを聞く
作者 ushi   
2007/08/12 日曜日 16:00:30 JST

 わたしはあなたのみことばを待ち望んでいます。(詩篇 119篇 81節)

             I have put my hope in your word. (Psalms 119 : 81)

 

 

一、『みことば』を聞くマリヤ(ルカ10章38−40節)(Luke10 : 38~40)

 エルサレムに近いベタニヤという村に、すばらしい信仰をもった三人の姉弟がいました。マルタ、マリヤ、そしてラザロです。

ある時、イエスは旅の途中でベタニヤの村に立ち寄られました。マルタはイエスを自分の家に招待し、できる限りのもてなしをしようとしました。尊敬するイエスにありあわせのものなど出すわけにはいきません。きっと体が幾つあっても足りないと思うくらい忙しく働いていたに違いありません。一方、マリヤは、イエスの足元でじっとイエスの話を聞いていました。
 誰でも、自分が忙しく働いている時に人がのんびりしているのを見ると頭にきてしまいますが、マルタも同じでした。
 カッとなって、イエスに文句を言います。マリヤ本人に文句を言うのではなくイエスに言うところから、マルタがどんなにいらいらしていたかがわかるのではないでしょうか。

二、マルタとマリヤ(ヨハネ11章1−46、12章1−8節)(John 11 : 1~46  12 : 1~8 ) 

この二人の性格が全然違うことは、聖書のほかの箇所からわかります。一つは、二人の兄弟のラザロが死んだ時のことです。イエスがベタニヤにおいでになったと聞くと、マルタはすぐに迎えに行きましたが、マリヤはマルタに呼ばれるまで家にいました。
 もう一つは、イエスが十字架にかかられる直前にベタニヤに来られた時のことです。マルタはこの時もイエスの食事のお世話をしています。マリヤは、高価なナルドの香油をイエスに注ぎその足を、自分の髪でふきました。これは、イエスに対するマリヤの愛の表れでした。
 マルタはよく気がつく性格で、行動的なタイプですが、マリヤは物静かなタイプでじっくりと物事を考えることが得意だったようです。
 もちろん、片方の性格は良いがもう片方は悪いということはありません。神はどのような性格の人も必要としておられます。

三、どうしても必要なもの(ルカ10章41、42節 )(Luke 10 : 41~42) 

41、42節を読んで下さい。自分が忙しく働いているのにマリヤが手伝わないと不平を言うマルタに、イエスは『どうしても必要なことは  一つだけです』と言われます。

確かに大切なことはたくさんあります。マルタのように色々なことに気を配ることも大切です。けれども主イエスは、どんなものよりも優先しなければならないものがあるとおっしゃっているのです。
*それは、イエスのことばを聞くことです。マリヤは、何よりも大切な事をしていたのです。
 私たちの周りには大事な事沢山あります。家族の事、仕事の事、その他、しなければならないことは、他にたくさんあります。けれど、そのような事ばかりに気を取られて、神のことば、聖書を読む時間をないがしろににするようなことはないでしようか。

私たちも神のことばを待ち望み、聖書を読む時間を何よりも優先にしましょう。

最終更新日 ( 2008/02/05 火曜日 11:09:51 JST )
 
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