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わたしが律法や預言者たちを破棄するために来たと考えてはいけない。破棄するためではなく,達成するために来たのだ。マタイ5:17

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祈りとは
作者 kyokai   
2009/08/16 日曜日 16:10:47 JST

 何も思い煩わないで…あなたがたの願いごとを神に知っていただきなさい。                                                                 (ピリピ4章6節)

Do not be anxious sbout a nyting. but in everything, present your requests to God.

   ( Philippians ; 4 : 6 )   New International Version

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一、ハンナの悲しみ(第一サムエル1章1−8節)

 イスラエルが、王によって治められる時代の少し前、エフライムの山地にエルカナという人がいました。当時は一人で何人もの妻を持つという習慣があったので、このエルカナにも、ハンナとペニンナという二人の妻がいました。ペニンナには大勢の子どもがいたのですが、ハンナには子どもがいませんでした。当時のイスラエルでは、家と土地とを受け継ぐ子どもを産むということが、妻としての大切な役目だったのです。ですからハンナにとって子どもが産まれないということは、たいへんつらいことでした。

これは神のご計画によることでしたが、役に立たない者とか罪があるからだとか言われて、悲しい毎日を送っていました。エルカナは毎年シロという町にある主の宮に行き神にいけにえをささげ、礼拝をすることにしていました。ハンナとペニンナも一緒に行きましたがその度にハンナは子どもがないことでペニンナからいじめられ、年に一度の神の宮に行く旅もただつらい思いをするだけでした。

二、ハンナの祈り(9ー18節)

 その年も、エルカナはハンナとペニンナを連れて主の宮に上りました。その時もまたペニンナはハンナを馬鹿にしました。ハンナは悲しくて食事ものどに通らないほどでした。
 けれども信仰深いハンナはそれほどまでされても、ペニンナを恨んだり憎んだりはしませんでした。つらい事があった時には、それを神の話して慰められることを知っていたからです。

ハンナはひとりで主の宮に入り、心の中にあるすべてを神の前に注ぎ出し、激しく泣きました。
そして『主よ、私の悲しみに目を留めてくださり、男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。その子の頭にかみそりを当てません』と誓いました。

『頭にかみそりを当てない』ということは、神にささげられた者であるというしるしでした。

ハンナは、くちびるが震え、涙がとめどなく流れるほどひたすらに祈りました。この時、主の宮に仕える祭司エリはハンナの様子を見て、酒に酔っているふしだらな女と誤解して、とがめたのです。しかし彼女から事情を聞いてよく判りました。

そこで彼はハンナを慰め、その願いが神の聞き届けられるようにと祝福を与えたのでした。主の宮から出て来たハンナの顔から悲しみの色は消えていました。自分が背負っいた苦しみをすべて神に申し上げてゆだね、願いがかなえられるという確信を得られたからです。

彼女は翌朝早く礼拝ささげ、平安と喜びに満たされてラマに帰って行ったのです。

三、神の答え(19、20節)

 神を信頼して熱心に祈ったハンナの祈りを、神は心にとめてくださいました。それからまもなく、ハンナに男の子が与えられました。

彼女はは神に祈って与えられた子どもだからというので、その子にサムエルという名をつけました。それは『神に求めた者』という意味でした。

最終更新日 ( 2009/08/23 日曜日 19:31:30 JST )
 
みことばを熱心に調べ蓄える
作者 kyokai   
2009/08/09 日曜日 09:57:17 JST

『キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ (なさい。)』
                         (コロサイ3章16a節)

Let the word of Christ dwell in you richly as you yeach. (Colossians 3:16a)  

                                                       New International Version

 

礼拝メッセージMP3礼拝メッセージMP3   

一、みことばを聞く(使徒17章10、11a)

 使徒パウロは第二次伝道旅行の途中、北ギリシャのマケドニヤ地方に行き、ピリピやテサロニケといった町で伝道した後、ペレヤという町にきました。ペレヤは、ユダヤ人が大勢住んでいる活気に溢れた町でした。
 パウロはどの町でも、まずユダヤ人の会堂を探し、そこで語りました。

ペレヤでも、会堂でユダヤ人たちに『聖書で預言されているメシヤ (救い主) はイエスのことです』と話しました。ペレヤに来る前に訪れたテサロニケの町では、ユダヤ人たちがこのメッセージに反発して、パウロたちを迫害しました。しかし、ペレヤのユダヤ人たちは、偏見を持たない、素直で自由な精神の持ち主で、パウロを通して語られるみことばに熱心に耳を傾けたのです。

皆さんは、みことばに対してどのような態度をとっていますか? 聖書を読む前には静まって祈りましょう。『神様、聖書が正しく理解できるように知恵を与えて下さい』と。

二、聖書を調べる(使徒17章11b)

 ペレヤの人々の素晴らしいところは、それだけではありません。彼らは、パウロの話が『はたしてそのとうりかどうかと毎日聖書を調べた』のです。

皆さんは本を読んでいてわからない箇所やことばが出てきたら、人に聞いたり、辞書で調べたりしませんか。まして聖書は普通の本と違って、神のことばです。

ペレヤの人々は、神のことばを心から受け入れようという謙遜な思いと、何でも聖書を土台に判断しょうという考えをもっていたので、毎日聖書を開き、語られることばが本当かどうか熱心に調べました。これを食事に例えれば、栄養のバランスを考え、よく咬んで食べるようなものでしょう。

三、みことばを蓄える(使徒17章12節、ヨシュア1章8節)

 一口に聖書を調べるといっても、聖書は分厚いし、紙も薄く字も小さくて、かなりの分量がある本です。ペレヤの人たちが調べたのは今の旧約聖書だけですが、それでも大変なものです。

パウロの話が本当かどうか調べるといっても、どこから手をつけてよいのかわからないくらいです。ヨシュア記一章8節を読みましょう。ペレヤのユダヤ人たちはこの命令を守り、日々みことばに親しみ、暗記していたので、聖書全体をよく知っていました。ですからパウロの説教が正しいことを日々の聖書研究で確認することができたのでしょう。使徒17章12節には『そのため、彼らのうちの多くの者が信仰にはいった』とあります。

聖書を毎日読み、調べ、覚える習慣は、金庫に大金を蓄えるより、膨大な知識を身に着けるより、ずっと素晴らしいものです。みことばは私たちを永遠のいのちに導き、人生を変え、祝福に導くからです。

最終更新日 ( 2009/08/16 日曜日 16:17:30 JST )
 
足のともしび
作者 kyokai   
2009/08/02 日曜日 06:20:04 JST

あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。
                     (詩篇119篇105節)

 Your word is a lamp to my feet and a light for my path.

    ( Psalm 119 : 105 ) New International Vesion

 

今回音声 トラブルで掲載出来ませんでした。ご免なさい。

一、道しるべである『みことば』(詩篇119篇105)

 詩篇119篇は、主なる神への祈りの形式で人が『律法の教え』(ヘブル語「トーラー」)に従って歩むべき信仰の道を説いています。トーラーは、ヘブル人にとって『神のみことば』にほかなりません。トーラーこそ、ヘブル人の生活を律する指針であり、また規範でもありました。

その意味で、トーラーに示された『神のみことば』は、彼らの歩む人生(多くの困難や試練があり、危険や暗黒が待ち受けている)の確かな『道しるべ』でした。
 

新約の時代に生きる私たちには『神のみことば』は律法を成就されたイエス・キリストの福音(マタイ5章17節) 取って代わられています。

ぺテロ第一1章に、私たちの歩む人生の『道しるべ』となる『いつまでも変わることのない、神のことば』は『あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです』(23ー25節) と明言されています。

 二、みことばは、私の足のともしび(詩篇119篇105節)

 聖書を通して語られる神の『みことば』が私の歩む人生の『道しるべ』であるのは、それが、暗闇を照らす光として『私の足のともしび』『私の道の光』となってくれるからです。

『わたしは世の光です』と宣言したキリストは『私に従う者は、決してやみの中を歩むことなく、いのちの光を持つのです』 (ヨハネ8章12節)と約束されています。私たちが日々聖書から聞くキリストの

『みことば』は、私たちの『足のともしび』となって、私たちの足元と行く手を照らしてくれます。そのことが実際の体験として、私たち自身が『あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です』と心から賛美し、告白する者となるなら幸いです。

三、『みことば』を昼も夜も口ずさむ(詩篇 1篇2節)

聖書から聞いた『みことば』が心に深くとどまるとき『昼も夜もそれを口ずさみ』思い巡らし、暗唱するようになります。そのように『みことば』が心から溢れ出ると喜んで『みことば』を守り行うようになるのです。こうして私たちは、どんなの暗い世にあっても、いのちの光を持って光の中を歩む者となるのです。

*『その人は、何をしても栄える』のです。

最終更新日 ( 2009/08/09 日曜日 17:27:42 JST )
 
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