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激しい風あらしが起こり,波が舟の中に打ちつけて,舟はもはや水でいっぱいになるほどであった。彼自身は船尾にいて,まくらをして眠っていた。そこで彼らは彼を起こして告げた,「先生,わたしたちが死にかかっていても平気なのですか」。彼は目を覚まし,風をしかりつけ,海に言った,「静まれ! 静かになれ!」 風はやみ,大なぎになった。 彼は彼らに言った,「なぜそんなに恐れるのか。信仰がないのはどうしてか」マルコ 4:37-40

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わたしは道であり真理でありいのちです
作者 kyokai   
2007/11/25 日曜日 16:57:30 JST

 わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとりとして父のみもとに来ることはありません。 (ヨハネ14章6節)

 6Jesus answered, "I am the way and the truth and the life. No one comes to the Father except through me.         (Jhon 14 : 6 )

 

礼拝メッセージMP3礼拝メッセージMP3
 

一、わたしは道である。
 

イエスは『わたしは、道である』と言い『わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』(6節) と説かれました。

『わたしは場所を備えに行く』言われたのに対し、トマスが『主よどこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう』(5節) と尋ねたのに答えられたものです。
 イエスのことばは、高度に象徴的です。ここで言う『道』は神の国に至る道です。しかも『私を通してでなければ』と言われているように、唯一の道です。

私たちは、神から遣わされた救い主を通してのみ、神のみもとに行くことができるのです。

二、わたしは真理である。
 

イエスは『わたしは真理ある』と言われました。それを説明するように『あなたがたはもしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父をも知っており、また、すでに父を見たのです』(7節)と語られました。ここで強調されていることは、イエスと神とが一体であるということで、イエスを知っているならすでに神がわかり、神をみたのであるということなのです。
 イエスが『わたしは真理である』と言われたのは、イエスは神の真理を現し、また、神の真理そのものである、ということなのです。

ヨハネは『この方は恵みとまことに満ちておられた』(1章14、17節) と強調しています。イエスは神の真理にに満ち、神の真理を現しておられます。私たちは、この方を通して、神の真理を知ることができるのです。

三、わたしはいのちである。
 

イエスは最後に『わたしはいのちである』と言われました。ここで『いのち』と言われているのは、ただ肉体的な生命ではなく『永遠のいのち』のことです。

イエスは『いのち』であって(1章4節)彼を信ずる者には永遠のいのちが与えられる(3章16、36節
4章14節、6章68節)。永遠のいのちとは、いつまでも生き続けることではなく、永遠者である神との生きた交わりに生きることです。

イエスは、次のように言われています。『その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです』(17章3節)。
 

このようにイエスは神のいのちであってイエス・キリストを信じてその交わりに生きるとき、神のいのちにあずかることができるのです。私たちはそのいのちによって弱さと罪と死とに勝ち、力にあふれた生活をすることができるのです。

キリストによって神と交わり、永遠のいのちにあずかり、神の御国に生きることができるのです。

最終更新日 ( 2007/11/27 火曜日 22:41:43 JST )
 
わたしは、良い牧者です
作者 kyokai   
2007/11/18 日曜日 21:26:03 JST

わたしは、よい牧者です。よい牧者は羊のためにいのちを捨てます。 

                   (ヨハネ10章11節)

 I am the good shepherd. The good shepherd lays down his life for the sheep. 

                    ( John 10 : 11)

 

礼拝メッセージMP3礼拝メッセージMP3
 

一、よい牧者は羊を守る。(ヨハネ10章11−13節)
 

イエスは『わたしは、良い牧者です』と繰り返し語り、良い牧者は自分の命を捨てても羊を守ると強調されました。

雇い人は、狼が襲って来ると羊をおいて逃げるが、本当の持ち主、つまり、良い牧者は、自分の命を捨てても羊を守るのです。
 このことによって、イエスは何を語ろうとしておられるのでしょう。それは、自分の利益のために民衆を食いものにしている政治家や宗教家を責め、彼らから、民衆を命をかけて守ろうと言われているのです。

そのために、自分の命を惜しまずに捨てる、と宣言されているのです。その意味で『わたしは、良い牧者です』と言われたのです。

二、良い牧者は羊を知る。(ヨハネ10章14、15節)
 

『わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています』(14 節)『わたしのもの』とは、一般には民衆のことで霊的にはイエスに従う者たちのこと。イエスは彼らをよく知り、彼らもイエスを知っている。知るということは、ただ知識で知るだけではなく、人格的に知ることであり、信頼して(信じて)いることです。相手をありのまま受け入れ、ともに生きることなのです。
 

良い牧者は、自分の羊の状態をよく知っており、また羊のために自分を捨てることができるのです。それと同じように人々の問題をよく理解し、自分に従う者たちの苦悩をよく知っておられます。それに対応し、羊である人々もイエスがどのようなお方であるかをよく知っており心から信頼し従うのです。そこには、ともに知り、ともに信頼する関係があります。それこそ、良い牧者と羊の関係であると言うことができるのです。

三、良い牧者は羊を救う。(ヨハネ10章15−18節)
 

良い牧者は、自分の命を捨てて、羊を救う。イエスは、そのことを繰り返し語っておられます。イエスが『いのちを捨てる』と言われるには二重の意味があります。

第一は、羊を守るため自分の命を捨てることです。

第二は、十字架につけられて殺されることです。それによって、多くの魂が救うことができます。それは神のみこころであり、またイエス御自身の意志でもありました。
 

イエスはもう一つ重要なことを語っておられます。それは、囲いの中にいる羊だけではなく、囲いの外にいる羊も導かれることです。囲いの中にいる羊とはユダや民族のこと、囲いの外の羊とは異邦人のことです。

イエスはユダヤ民族だけではなく異邦人をも救いに導き『彼らは私の声に聞き従い、一つの群れ、一つの牧者となるのです』(16節)と言われます。つまり同じ神の民イスラエルとなるのです。

パウロは、その神の奥義をさらにはっきりと語ります。(ローマ11章25、26節) それは今、歴史の中で実現しています。

最終更新日 ( 2007/11/19 月曜日 23:06:10 JST )
 
キリストは世の光です
作者 kyokai   
2007/11/11 日曜日 16:49:00 JST

 わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。    (ヨハネ8章12節b)

"I am the light of the world. Whoever follows me will never walk in darkness, but will have the light of life."     (Jhon 8 : 12b )

 

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一、わたしは神の働きをする。(ヨハネ9章1−4節)
 

生れつきの盲人を見て、弟子たちは『彼が盲目に生れついたのは、だれかが罪を犯したからですか』と質問しました。

病気や不幸は罪の結果であるという思想は、ユダヤ教にも一般の世界にもありました。それに対して、イエスは答えられました。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のみわざがこの人に現れるためです』救いようのない因果応報の思想から、希望に満ちた神の働きに目を向けさせます。
 しかも、イエスは4節で言われているように、与えられている機会に積極的に神の働きをすることを強調しておられます。イエスは神の働きを行うことによって人間の絶望を神の希望に変えられるのです。

二、わたしは世の光である。(ヨハネ9章5節)

 真っ暗闇の中を歩いているとき、そこに光があったらどんなに助けになるでしょう。また、広い砂漠の中で道しるべを見つけたら、どんなにうれしいことでしょう。しかし、その光や道しるべが私たちを間違った方向に導いていくとしたら、それは恐ろしいことです。

イエスが『わたしが世にいる間、わたしは世の光です』と言われたのは、ご自分が、この世の様々な問題に本当の解決を与え、正しい道に導く世の光となってくださったということです。

皆さんは、苦しみや困難の中で、解決の方法が見つからないということはありませんか。イエスを信じているなら、必ずその問題に打ち勝つことができるのです。8章12節を読んで下さい。

三、わたしは見えるようにする。(ヨハネ9章6−12節)
 

イエスは、生れつき目が見えない人の目に泥を塗って、シロアムの池で洗うように言われました。

言われたように、行って洗うと、見えるようになりました。神の力によって、奇跡的にいやされたのです。そのことは、彼の周辺に大きな波紋を生じました。そして、彼はイエスが行われた大きな働きをあかしする、よい機会に恵まれたのです。

『それで、行って洗うと見えるようになりました』彼は見えるようになったのですが、イエスが見えるようにされました。
 

イエスは彼を、肉体的にだけではなく、霊的にも見えるようにされました。彼はイエスを信じ(38節)霊の目も開かれました。信仰の目も開かれたのです。逆に、イエスが『目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです』と言われたように見えることを誇っている者が見えなくなってしまう。そこに神の働きとともに、神のさばきがあります。

私たちも霊の目が開かれて、見える者になりましょう。

最終更新日 ( 2007/11/11 日曜日 20:17:17 JST )
 
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