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ともし火が持って来られるのは,かごの下や寝台の下に置かれるためだろうか。燭《しょく》台の上に置かれるためではないか。 というのは,知られるためでないのに隠されているものはなく,明るみに出るためでないのに秘密にされているものはないからだ。 だれでも聞く耳のある者は聞きなさいマルコ 4:21-23

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世界の光です
作者 kyokai   
2009/09/13 日曜日 15:54:34 JST

『あなたがたは、世界の光です』(マタイ5章14節)

You are the light of the world. ( Matthew 5 ;14 ) New lnternational Version

 

一、地の塩(マタイ5章13節)

  『山上の説教』において、イエスは『あなたがたは、地の塩です』と言われました。それは何を意味していたでしょうか。イエスは『もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるでしょう』とも述べておられます。つまり、そこで塩の味が意識されていました。

多くの食べ物の味付けに塩はかかせません。塩が味付けの基本です。塩味がなかったら、料理はおいしくありません。

 イエスは弟子たちはこの世の塩であると言われました.この世に神のみことばの真理を示し、人の歩みと命の意味を与えるための大切な役割を果たしなさいということです。
 さらに、塩は腐敗を防ぐものとして考えることができるでしょう。この世界は堕落し、悪に汚れ、汚染される傾向をもっています。もし、この腐敗を防ぎ、汚染を抑えるものがなければ、世界はますます問題を抱えていくことになるでしょう。この世が保たれ、腐敗が進まないように、私たちは、聖書のみことばによってよい影響を及ぼさなければならないのです。


二、世界の光(マタイ5章14節)

 イエスは『あなたがたは、世界の光です』とも言われました。『光』ということばが用いられる場合、この世界は暗闇の状態であることが意識されています.この暗闇の状態をどれだけの人々が自覚しているでしょうか?。テレビのニュースを聞けば、確かに戦争や恐ろしい犯罪のこと、経済的な不況についての話を耳にします。確かにそういう意味で、暗い世の中だと考えることができるでしょう。
 しかし、事態はもつと深刻だと聖書は語ります。

人間の罪の問題があり、サタンがこの世界を支配しています。                  神の栄光を輝かせないようにする恐るべき力がこの世にあるということです。それに対してイエスを信じる者は『光』として輝かなければならないと言うのです。

 光は、暗闇と暗闇に属するすべてのものを明らかにします。キリストの福音を携えて行くならば、主の教えと違うものはハッキリすることになります。山の上にある町は、人々の目に留まります。

福音をハッキリと示さなければなりません。そうして、神の真理が明らかにされ、悪の存在があばかれ、唯一の救いの道があざやかに示されなければならないのです。

 三、燭台に上に(マタイ5章15、16節)

『あかりをつけて、それを升の下に置く者はありません』とあります。当時は、小さなランプが部屋の明かりでした。家の人々全部を照らすために、そのランプはランプスタンドの上に置かれました.升の下には置きません。そんなことをしたら、家の中を照らすどころか、明かりは消えてしまうでしょう。

 主の救いの恵みにあずかって、みことばの真理を知らされた者は、それを人々に伝えなければなりません。また、そのみことばに従うことで、人々がそのよい行いに目を留めるようになるでしょう。その結果、人々はそれが聖書の教えであり、神のみこころであることを学ぶことになると言うのです。

私たちは、信仰を自分だけのものとしてしまっておいはなりません。

最終更新日 ( 2009/10/04 日曜日 17:22:05 JST )
 
山上の教え(幸いです)
作者 kyokai   
2009/09/06 日曜日 17:30:05 JST

心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。(マタイ5章8節)

* 本日の音声休ませていただきます。

一、山上の説教(マタイ4章17、4章23−4章23ー5章2節)

   主イエスは、荒野で悪魔の誘惑を退けられた後、公に宣教活動を始められました。
その第一声は『悔い改めなさい.天の御国が近づいたから』バプテスマのヨハネと同じ内容で、聴衆に悔い改めを迫る鋭いメッセージでした。ご自身が御国をもたらす方でしたから、人々がそれにふさわしく心を整えるようにとの教えでした。

 主はガリラヤ全土を巡って、教え、病人をいやし、人に取り付いた悪霊を追い出されました。
 主イエスの教えを聞いた者、愛の業と奇跡を見た者たちが、大勢やって来て、主イエスにつき従いました。

主は彼らに、山に登って話されました。それでこの教えを 『山上の説教』(マタイ5章ー7章)と呼ばれています。主イエスのまとまった教えの最初のものです。

二、幸福とは何か(マタイ5章3節)

 主イエスが第一に語られたことは、幸福についてでした。原文では『幸いです』が文頭に来て、強調された形になっていて『ああ、幸せだなあ』と訳せます。人々は皆、幸福を求めているので、聞く者の注意を引いたことでしょう。

(常識とは反対なところにある幸福)主イエスによれば、幸せな者とは、豊かなものではなく、貧しい者です。心の貧しい者こそが幸せだというのです。この世の常識とは正反対です。人々は驚きながら、ますます主の教えに耳を傾けたことでしょう。*(神が与える幸福 ) それでは、心の貧しい者が、なぜ幸いなのでしょう。自分の理性や良心は最終的には頼りにならないことを認めている人は、神を求め、神に頼る者となるからです。(テトス1章15節 )きよい人々には、すべてのものがきよいのです。

三、幸福な者とはだれか(マタイ5章3ー12節


   『山上の説教』の冒頭で『幸いです』が八回繰り返されています。それでこの部分は『八福の教え』とも呼ばれています。これらの条件をすべて満たすのは、まず、主イエスご自身です。
 また自分の弱さや罪深さを認めて、主イエスに頼る者も、同じように幸いです。
(主イエスに従う者)預言者たちは皆、迫害を受けました。神の従う者は厳しい道を通らなければならないが、それこそ、神の本物のしもべであることの証明なのです。だから、どんな迫害の中でも喜ぶことができるし、そうすべきなのです。

 

最終更新日 ( 2009/09/13 日曜日 15:54:49 JST )
 
主の祈り(2)
作者 kyokai   
2009/08/30 日曜日 09:21:59 JST

 私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを
  赦しました。                     (マタイ6章12節)

Forgive us our debts ,as we also have forgiven our debtors

           ( Matthew 6 : 12 ) New International Version

 礼拝メッセージMP3礼拝メッセージMP3  

一、日ごとの糧をお与えください。(マタイ6章11、7章7−11節)

『主の祈り』の前半で、イエスは、神についての祈りをささげるように教えられました。後半の三つは、私たちの具体的な必要についての祈りです。

『日ごとの糧』とは、生きるために必要な食べ物のことです。                                                                私たちが毎日何気なく食べているものは、実はすべて神の恵みによって与えられているものであるということを考えたことがありますか。食べ物だけではありません。私たちの生活に必要なものはすべて、神から与えられているのです。このことについて感謝したことがありますか。

ところで、たった一つのパンさえ手に入れることが困難な人が、世界には大勢います。今日も与えられている食事を感謝すると同時に、パンが食べられなくて飢えに苦しむ人々が世界にいることを覚えて、彼らにために祈る責任があります。「私」ではなく「私たちの日ごとの糧」とあるのですから!

二、『負い目をお赦しください』(6章12、14、15節)

 『負い目』は『主の祈り』では『罪』と訳されています。                                                                    聖書でいう『罪』の最も本質的な意味は、神を神としないで自分を神とすること、自己中心的な歩みをすることです。そのような生き方は、神を悲しませるばかりではなく他の人をも知らないうちに傷つけているでしょう。

人間は皆、罪ある存在ですから、自分の力ではどうしようもありません。神に赦しを求めなくては解決しないのです、ここで気を着けなくてはならないのは『私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました』という箇所です。赦した者こそ赦されるのであり、赦した者こそ赦しを求めることができるのです。人を赦すのは簡単なことではありません。

自分が人を傷つけたことは簡単に忘れますが、自分が傷つけられたことはなかなか忘れられないのが人間です。そして、自分が犯した過ちを素直に認めることも難しいことです。正直に『ごめんなさい』と言えないのが人間です。

しかし、人の罪を赦すこと、また自分の罪の赦しを祈り求めることは大きな祝福へと繋がることを忘れてはいけません。そこには、愛なる神からの大きな平安と慰めがあるのです。


三、悪からお救いください(マタイ6章13節)

 人間は、罪や誘惑に対して弱い存在です。自分の力や意志や知恵で誘惑に打ち勝つことはできないことを確認しましょう。『私は大丈夫』『俺は決して負けない』という気持ちは禁物です。罪に陥りやすい自分の弱さを認めなければなりません。そうしてそういう場から遠ざけて下さるよう祈り求めるべきです.気づかないうちに罠にはまっていることも十分考えられます。自分が気をつけていてもです。    ですから全能の神に『試みにあわせないで、悪からお救いください』と祈るのです。

最後に『国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン』とたたえ、主権を神にお渡しして『主の祈り』は終ります。

イエスが教えて下さったこの祈りが、単なる暗唱に終ることなく『天のお父様』との真の交わりとなるように、また、私たちの信仰生活の原動力となるように心がけましょう。

最終更新日 ( 2009/09/13 日曜日 15:55:10 JST )
 
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