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復活の朝
作者 kyokai   
2010/04/03 土曜日 23:24:48 JST

 『ここにはおられません。よみがえられたのです』
                       (ルカ24章6節)

He is not here; he has risen! ( Luke 24:6 )  New International Version

一、空っぽの墓(ルカ 24章1−3節)

 安息日が始まる寸前の金曜日の午後,イエスの遺体はアリマタヤのヨセフが用意した新しい墓に葬られました。墓は大きな石でふさがれ、イエスが復活を予告しておられたことから、遺体を弟子たちに盗まれないように、墓の前ではローマ兵が厳重に番をしていました (マタイ27章62ー66節)。

 安息日が終った日曜日の朝早く、女性たちはイエスの遺体に塗るために用意した香料を持って、墓に急ぎました。墓が大きな石のふたでふさがれていたのを、彼女たちが知らなかったはずがありません。けれどもイエスを慕う思いが、女性たちを墓に急がせていました。墓に着くと,石はわきに転がっていました。入って見ると主イエスの遺体がありません。


二、御使いのお告げ(ルカ 24章4ー8節)

 途方に暮れている女性たちに、二人の御使いが現れました。恐ろしくて地面に顔を伏せている彼女たちに、御使いたちは素晴らしい知らせを告げました。主イエスは生きておられる、主はよみがえられた!というのです。そして御使いは主イエスがガリラヤにおられた頃にお話になった言葉を思い出しなさい、と言いました。ルカ9章22節を開いて確かめましょう。そして,その言葉のとおりに、主イエスが死に打ち勝ってよみがえられたことを確信したのです。


三、喜びの知らせ(ルカ 24章9−12節)

 こうしてはいられないと、女性たちは主イエスがよみがえられたというビッグニュースを、早速,十一弟子たちとそのほかの人たちに全部に報告しました。9節を読みましょう。女性たちがどれほどうれしかったか、また興奮していたかが伝わってきます。 

 この知らせを聞いた弟子たちは、女性たちと一諸に喜んだでしょうか。彼らは女性たちの言葉をだだの「たわごと」だとして、信用しなかったのです。当時、女性の証言は低く評価されていたので、弟子たちも、女性たちのことばを信じられないと考えたのかも知れません。何よりも、十字架で息絶えて墓に葬られた主イエスが復活するなどということは信じられないという気持ちだったのでしょう。

弟子たちの態度は、女性たちが『イエスのみことばを思い出した』(8節) のとは対照的でした。ただ、ぺテロとヨハネだけは、走って墓に行き、墓が空であることを確認して帰りました(12節、ヨハネ20章3−10節)。

最終更新日 ( 2010/04/04 日曜日 16:38:47 JST )
 
十字架
作者 kyokai   
2010/03/28 日曜日 09:21:10 JST

 『神は唯一です。また神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としての
     キリスト・イエスです。』              (第一テモテ2章5節)

For there is one God and one mediator betwcen God and men. the man Christ Jesus.

                                                      (1Timothy 2 : 5 )  New International Version


一、神の完全な裁き(マルコ15章33ー36節


  『エリ、エリ、レマ、サバクタニ、サバクタニ』(わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか)』という言葉ほど誤解されやすい聖書の箇所はないかも知れません。キリストが神に見捨てられて、思わず叫んでしまった恥ずかしい言葉だと考えてしまう人が少なくないからです。しかし逆に、この言葉こそ、救いの重要な鍵を表している言葉なのです。キリストの十字架の死は、単なる肉体的な死ではなく、神から完全に見捨てられるという、霊的な完全な死だったからです。

最初の人アダムとエバが善悪の知識の木の実を取って食べた時、死が人間に入ってきました(創世記 3章19節)。それは肉体的な死だけではなく神との交わりが崩れる霊的な死でもあったのです。だからこそ、罪のさばきは肉体的なものだけではなく、霊的なものである必要があるのです。

イエスの叫びこそ、父なる神子なる神の永遠の交わりが完全に絶たれる永遠のさばきとその苦しみを表しているのです。その悲しみは、造られた世界が闇に包まれるということで表されたのです(33節) 

イエスの言葉は旧約聖書の詩篇22篇1節でもありました。続く5節に『彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。彼らはあなたに、信頼し、彼らは恥を見ませんでした』とあります。悲痛な叫びが喜びに変えられるという旧約の預言の実現を、このキリストの叫びを通して知ることができるのです。キリストの十字架は失敗ではなく、預言の成就であり、私たちに真の勝利を与えるためのものでした。


二、神との交わりの回復(マルコ15章37、38節)

 『父よ。わが霊を御手にゆだねます』(ルカ23章46節)という最後の叫びもってキリストが完全にさばきを受けられた時、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けたと聖書は証言しています。その幕は、神殿の聖所と至聖所とを隔てる垂れ幕でした。

大祭司が年に一度だけしか入ることが許されなかった至聖所への隔ての幕が裂ける、しかも上から裂けるということは、神の御手によって、キリストの贖いを信じる者が聖なる神がいらっしゃる場に大胆に近づくことができ、神ご自身と豊かな交わりをもつことができるということを意味しています(ヘブル10章19、20節)。神と人との仲介者として、キリストは十字架にかかられたのです(㈵テモテ2章5節)。


三、十字架の目撃者(マルコ15章39ー41節)

 イエスの十字架と死を目撃したローマ軍の百人隊長は「この方は神の子であった」と証言しています。異邦人が語った言葉ですから『神の子』という言葉は『偉大な人物』『正しい人』(ルカ23章47節)という意味に過ぎないかも知れません。けれども、その表現を通してキリストの神の子としての真実があかしされていることも、主の導きを覚えることができます。

 また、キリストに従う女性たちが、キリストの十字架を遠くからるのです。見守っていました。男性の弟子たちがいち早く逃げてしまった中で、彼女たちは勇気と愛をもってキリストの十字架を見つめていたのです。

当時さげすまれていた女性をも主は豊かに用いてくださいます。

最終更新日 ( 2010/04/03 土曜日 23:09:41 JST )
 
十字架上の祈り
作者 kyokai   
2010/03/21 日曜日 09:33:32 JST

『父よ。彼らをお赦しください。彼らは,何をしているのか自分でわからないのです。』                   (ルカ23章34節)

Jesus said , "Father ,forgive them, for they do not know what they sre doing." And they civded up his clothes by casting lots. (Luke 23:34) New International Version.

 

礼拝メッセージMP3礼拝メッセージMP3

 一、『父よ。彼らをお赦しください』(ルカ23章33、34節)

 二人の犯罪人の中央でイエス・キリストは十字架にはりつけにされました。それも最目立つ所であり、道行く人々も中央にかかげられたキリストを見てののしったのです(マタイ27章39、40節)。祭司長や律法学者たちも、キリストをあざ笑う中、この二人の犯罪人たちもキリストをののしったことが聖書に記されています (マタイ27章41−44)。
 十字架のさばきと苦しみを受ける彼らは、キリストと同じ立場にいましたが、彼らも人々と同じようにキリストをあざけったのです。自らの罪を認めるよりも、だれかのせいにして責任を転嫁したり、他の人をあざ笑うことによって自分の苦しみを軽くしょうとしたり、人の心の奥には他人を引き下げようとする、冷たい陰険な心があるのです。


二、悔い改めた罪人(ルカ23章34ー41節)

 しかし、ルカの記述によると二人のうち一人は,あざけるもう一人をたしなめて,自分の罪をキリストの前に認めるようになりました (41節)。何が彼を変えたのでしょうか。

 十字架の死の苦しみを味わう中で、彼の目にはキリストの姿が映っていたに違いありません。自分自身もキリストをののしる中で聞いたキリストの最初の言葉は、人や神を呪い、あざ笑う言葉ではなかったのです。それは『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです』という、人々の赦しを執り成す祈りだったのです。この罪人はどのような思いでこの言葉を聞いたのでしょうか。

 自分を苦しめ,呪う人々を前にして、その人々のために神に赦しを祈る。この愛の言葉に、彼は自分の心の闇を示されたのではないでしょうか。自分を呪う者への赦しを神に祈るキリストの言葉を,自分のための祈り、自分のための言葉として受け取ったのでのではないでしょうか。そして『何をしているのかわからない』のは自分だと考え始めたのではないでしょうか。少し前までキリストを呪っていた彼の変化は明確でした。聖霊の導きと助けによって,彼は自らの罪を認めることができたのです。

キリストの言葉を、自分自身に向けて語られる言葉として受け止めていくとき、私たちは聖霊を通して変えられていくのです。


三、キリストの救いの宣言(ルカ23章42、43節)

 犯罪人は言葉を続けます『イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください』(42節) と。彼は、救って下さいとも、赦してくださいとも語っていません。しかし、キリストは彼の控えめなことばと、その心の中にある真の悔い改めと信仰とを認めてくださったのです。そして彼に,天国への約束を宣言なさいました。

 最後の最後の悔い改めであっても、神の愛を受け取り,謙虚に自らの罪を認め、赦しを求める者を、主は必ず招き入れてくださるのです。  

最終更新日 ( 2010/03/22 月曜日 17:20:04 JST )
 
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