|
わたしは、天から下って來た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。 (ヨハネ6章51節) I am the living bread that came down from hcaven. (John 6 : 51 ) New International Version.
礼拝メッセージMP3 一、なくなる食物を求める人々(ヨハネ6章22ー27節) これは、イエスが五つのパンと二匹の魚だけで五千人を満腹させると言う奇跡をなさった 翌日の話です(ヨハネ6章1−14節)。群衆は、もう一度イエスから食物をいただくために、みもとにやって来ました。物質的な豊かさを求めてやって来る群衆の動機を見抜かれたイエスは、食べてしまえばそれまでで、再び飢え乾きを覚えるような『なくなる食物』のためではなく『永遠に至る食物』のために働きなさいと言われたのです(ヨハネ6章 27、28節)。 今は、イエスの時代とは比較にならないほど物があふれ、経済的に豊かにかになりました。しかし、生きる目的についてはどうでしょう。日々の暮らしに追われていた当時の群衆と同じように、私たちもまた、この世の一時的な満足を追い求め『なくなる食物』に心が奪われているのではないでしょうか。あなたが今、最も熱心に求めているものは、一体なんでしょう? 二、神の賜物としてのパン(ヨハネ6章28ー32節) さて『永遠のいのちの至る食物のために働く』という意味を群衆は『モーセの律法に従って神のわざを行うこと』だと誤解しました。そして、どんな良いわざに励めばよいのかと、イエスに質問したのです (28節)。29節のイエスのお答えを読みましょう。 神が人々にもとめておられるわざはただ一つ、神が遣わした方を信じることだと、イエスは言っておられます。永遠のいのちに至る食物は、罪深い私たちがどんなに努力しても、その不完全な行いの報酬としていただけるようなものではなく、神が、ただ一方的に与えて下さる恵みなのです。続いて32、33節を読みましょう。 イエスは、神の賜物としてのこの食物は『天から下って来て、世にいのちを与えるもの』であって、たとえモーセのような偉大な人であっても、決して与えることができないものであると教えられました。『なくなる食物』とは、なんと大きな違いでしょう。 三、いのちのパンであるイエス(ヨハネ6章34ー51節)
イエスの話を聞いた群衆は、それを肉体的な空腹を満たすパンだと思い違いをして、そのパンを毎日与えて下さいと求めました。それに対してイエスは、ご自身がそのパンであると繰り返し宣言されて (35、41、48、51節)、霊的に満たされるために、そのまことの班をいただくように、つまりイエスを信じるようにお招きになったのです。この招きはまた、私たちひとりひとりにも与えられています。イエスは、ご自身を信じる者を決して見捨てないと言われます (37節)。 そして永遠のいのちを与えて下さり(40、47、51節)、終りの日によみがえらせる(39、40、44節)と約束して下さっています。これは十字架上で私たちの罪を贖って下さった主イエスの、命をかけた招きなのです。 すでにクリスチャンである人は、霊的な飢え乾きを満たし続けて下さる『いのちのパンであるイエス』に心から感謝し、日々喜びに溢れて従い続けましょう。 また今イエスを求めている人は、このイエスを信じて、永遠のいのちを頂き、生き生きと歩み出すことができるように祈りましょう。
|