ランダムみことば

喜び,かつ喜び踊りなさい。天においてあなた方の報いは大きいからだ。人々はあなた方より前の預言者たちも同じように迫害したのだ。マタイ5:12

ユーザメニュー

リンク登録
ログアウト

ログインフォーム

●ログインなしでも自由に記事を閲覧できます。





パスワードを忘れました?
未登録ですか? 新規登録
●ログインするにはメンバー登録が必要です●メンバー登録にはニックネーム、メールアドレス、任意のパスワードを登録します。●メンバー登録は無料です(記事を投稿する権利があるかないかの違いです)。

オンライン状況

RSS配信

Home
ベタニヤのマリヤ
作者 kyokai   
2008/02/18 月曜日 17:18:50 JST

 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。                 (申命記6章5節)

Love the LORD your God with all your heart and with all your soul and with all your strength.         ) (Deuteronmy 6 : 5 )

一、主のみことばを聞く(ルカ10章38−42節

何よりもマリヤは主イエスのみことばを聞くことを第一にのこととしました。

主イエスがユダヤに行かれる時は決まって、このマリヤとその姉マルタの家に宿泊しました。居心地がよかったのでしょう。マルタはいつも心を込めてイエスの一行をもてなしていたようです。しかしこの日のマルタは、気を遣い過ぎて、イエスがいらっしゃった時には、どうすることが一番なのかを間違ってしまったのです。主はマリタのもてなしを感謝しておられました。

しかし、その時その時に応じて最優先するべき行動というものがあります。神の御子であられる主イエスがいらっしゃったのです。

あれこれと接待するよりもまず、主にみことばを聞かなければなりません。マリヤは、優先させるべき行為を第一にとったのです。主イエスが評価したように『どうしても必要なただ一つ』(ルカ10章42節) の事をマリヤは選んだのです。

主イエスのみことばを聞くことを最優先させること、これこそ主イエスの弟子たる第一の条件です。


二、最も大切なものを主にささげる(ヨハネ12章1−8節)


 第二にマリヤは聞くだけではなく、イエスへの愛と感謝を大胆に表現しました。この時はイエスが十字架につけられる六日前です。

マリヤの兄弟ラザロをイエスが生き返らせたことで民衆が興奮し、それがユダヤ当局の焦りと憎悪をかきたて、彼らはイエスもラザロも殺そうとやっきになっていました。このような緊迫した状況の中で、この日の夕食会は開かれたのです。

 その席でマリヤがイエスの足に注いだナルドの香油は、埋葬の時などの特別な場合に使われるたいへん高価なものでした。会計係のユダが算定したように一人の人の年分の給料に値するものを、一度に1滴残らず主イエスのために使い果たしたのです。

香油のにおいはたちまちイエスの全身を包み、また部屋中に満ち溢れました。そして主はそのまま埋葬されたかのような状態になりました。しかもマリヤは、女性が人前では決してしてはならないこと、つまり自分の髪の毛をほどいて、それで主イエスの足をふいたのです。

マリヤの行動は常識的な目から見ると、非常な無駄遣いであり、非常識な行動です。

しかし、主はまもなくこの地上から取り去られます。主意の心を知り(悟り) 今この時主のために自分にできる唯一最善のことをマリヤは選び、徹底して実行したのです。

このマリヤの行動は主の心に一番近いものでした。主はマリヤの行為がこの後のキリスト教活動において永久の記念となるであろう(マタイ26章12、13節) と宣言されました。

 
疑い深いトマス
作者 kyokai   
2008/02/10 日曜日 15:30:27 JST

『信じない者にならないで、信じる者になりなさい』
                                           (ヨハネ20章27節)

Then he said to Thomas, "Put your finger here; see my hands. Reach out your hand and put it into my side. Stop doubting and believe."        (John 20 ; 23 )

 礼拝メッセージMP3礼拝メッセージMP3

一、復活の主(ヨハネ20章19ー23節)
 

イエスがよみがえられた日の夕方、弟子たちはイエスを殺したユダヤ教当局者たちを恐れて、戸を閉め一室に閉じこもっていました。と、そこへイエスが入って来られたのです。

復活の主イエスの体は霊の体でしたから、戸や壁など物質的なものにさえぎられませんでした。そして驚く弟子たちに、十字架の傷跡をお見せになりました。

弟子たちの恐れ、悲しみはあとかたもなく消えました。繰り返し言われた『平安があなたがたにあるように』とのことばにどんなに喜び、慰めを受けたことでしょう。

二、決して信じません。(ヨハネ20章24、25節)
 

ところが十二使徒の一人トマスだけがその場にいませんでした。他の弟子たちが、イエスに会ったことを話した時の彼の反応はどうだったでしょう。25節を読んで下さい。

トマスは、主の御手のくぎの跡を見、自分の手で主の手とわき腹の槍の傷跡を触ってみないことには信じられないと答えました。ここにトマスの性格が現れています。

彼は自分が確実だと納得する以外のことを信じることができませんでした。そしてその気持ちを正直に告白したのです。とは言え、一人だけよみがえりを信じられないままその仲間にいることは、彼にとってどんなに落ち着かない不安な日々だったことでしょう。

トマスは、信頼し合うべき仲間十人の証言を信じないまま、彼らと共に生活をしていました


三、私の主、私の神(ヨハネ20章26−29節)


 主は疑惑の中に迷っているトマスを、そのままに捨て置かれませんでした。

八日の後弟子たちが以前と同じように家の中に閉じこもっていた時、再び主が彼らの前に現れて下さったのです。

『あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばしてわたしのわきに差し入れなさい』主は、トマスのことをすべてご存知でした。忍耐深い主イエスは、トマスの不信仰と鈍さを叱るためではなく、救いを与えるために来られたのです。
 

トマスはイエスのことばで充分でした。このうえ、手を差し込む必要はありません。
信仰のなかった自分を恥じて、すぐさま主イエスの前にひざまずき『私の主、私の神』と叫びました。これはトマスの悔い改めと信仰告白です。その彼を主は受け入れ『見ずに信じる者は幸いです』とおっしゃいました。

これはトマスだけではなく、イエスを肉眼で見ることのできない時代の私にたちに向かって語られたことでもあるのです。

最終更新日 ( 2008/02/11 月曜日 00:37:24 JST )
 
取税人マタイ(レビ)
作者 kyokai   
2008/02/03 日曜日 15:26:56 JST

 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
                        (第二コリント5章17節)

 17Therefore, if anyone is in Christ, he is a new creation; the old has gone, the new has come!    (2Corinthians 5 : 17 ) 

 

礼拝メッセージMP3礼拝メッセージMP3

 一、弟子になったマタイ(ルカ5章27、28節)

マタイはガリラヤ出身で、職業は税金を取り立てる役人でした。取税人は、ローマ帝国の植民地政策の片棒をかついでいるということ、また不正な徴収金を取って私腹を肥やしているということから、ユダヤ人の社会では、軽蔑の目で見られていました。そればかりか強盗と同じように見なされ、パリサイ人からは、信仰をもたない無学の者、異邦人と同じ者と見なされていたのです。

経済的には何不自由のない生活をしていたマタイも、自己の罪と孤独に苦しんでいたと思われます。

そんな思いを抱いて収税所に座っていたマタイを、主イエスは招かれました。イエスの招きの言葉と、マタイの『何もかも捨てて従った』という召命の形は、ペテロやヨハネと同じです。

イエスの招きのことばは短いものですが、その前に主は多くのことばを用いて、罪人を救う神の無差別の恵みや弟子となることの必要を説明したはずです。だから今、マタイは主の招きに答えて、収入の多い職業を捨て、主の弟子となることを選んだのです。
 

ペテロもヨハネも、自分のものを『何もかも捨て』ましたが、彼らの場合いつでも、もとの仕事に戻ることができました。しかし、マタイの仕事は、一度捨てれば、再び戻ることのできないものでした。彼はイエスに生涯を賭ける決断に踏み切ったのです。

二、罪人を招かれる主(ルカ5章29−32節)
 

マタイにとって、これほど親しく声をかけられたことがこれまであったでしょうか。いつも非難を受けていた彼は、好意をもって招いてくださる主にただただ感謝するばかりでした。

そこで、この喜びを、一人でも多くの人に知らせ、共に喜んでもらうため、彼は盛大なパーティを開きました。
 

このパーティは、マタイにとって、これまでの古い自分との別れと、新生活への門出を記念する会であり、自分の救いを人々に公言する最初のあかし会となりました。
 ところが、パリサイ人と律法学者たちはキリストを非難しました(30節)。宗教的には異邦人であり、社会的にも罪人である者と共に食事をするなど、とても考えられなかったからです。

彼らは宗教家であるにもかかわらず、マタイの救いについて関心がありませんでした。それよりも、自分たちの考えの正しさを通すことの方が大切だったのです。 

そこでイエスは答えて『医者を必要とするのは病人です』と告げられ、ご自身が罪人を招いて悔い改めさせるためにこの世に来られたことを教えられました。

この世で罪人でない人は誰もいません。自分が罪人であると悟ったマタイや他の取税人や遊女たちは『罪がない』と思っているパリサイ人たちよりも先に赦された(救われた)のです。

 

最終更新日 ( 2008/02/05 火曜日 22:11:13 JST )
 
続きを...
<< 最初 < 戻る 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 次へ > 最後 >>

結果 13 - 16 of 145
クリスチャン掲示板
無料画像、素材、ダウンロード

リンク:BLAQLO

Christian Arts & MusicBLAST 手作りアクセサリー販売や音楽スクールのサイト

ブラスト

リンク:Heaven's Seed

聖書にヒントを得たクリスチャンTシャツ とゴスペルレゲエ

ヘブンズシード・Tシャツ・雑貨・クリスチャン・レゲエ

リンク:飢餓対策

日本国際飢餓対策機構 は、人間の尊さを重んじ地球家族に奉仕する非営利の NGO(民間援助団体)です

日本国際飢餓対策機構

 
© 2008 東大阪キリスト教会:レオナードクート:礼拝メッセージ:聖書:愛、喜、平和:ペンテコステ
Joomla! is Free Software released under the GNU/GPL License.
Translation is Joomla!JAPAN