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作者 kyokai
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2010/09/04 土曜日 17:11:19 JST |
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あなたがたの中では、だれでも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。 (ヘブル3章12節) See to it brothers, that none of you has a sinful.unbeling heart turns away from the living God. (Hebrews 3 : 12 ) New International Version. 礼拝メッセージ
一、安息日の礼拝(ルカ4章16ー21節)
皆さんは、イエスの時代の礼拝の順序や内容がどんなであったのか興味ありませんか。この箇所から、当時の礼拝の様子をほんの少し知ることができます。 イエスは人々からラビ、教師と認められていました。聖書を朗読しょうとしたイエスは、手渡されたイザヤ書から朗読しました。18、19節を読んでください。その主な内容は、貧しい者に福音が伝えられ、捕らわれ人が解放され、目の見えない人の目が開かれ、苦しめられている人々が自由にされるということです、朗読が終ると、イエスは着席して説教を始めました。人々は耳を傾けて聞きました。イエスの説教は、聖書ではほとんど省略され、最初の部分だけが 21節 に記されています。人々はそれを聞いて驚きました。今聞いたばかりの聖書のことばが『きょう、実現しました』と言われたからです。 二、故郷の人々の反応(ルカ4章22ー27節)
人々の反応は22節にありますが前半と後半ではまったく違っています。初めはイエスの説教をほめたのに、すぐにその熱が冷めてしまいました。ナザレはイエスの故郷であり、人々はイエスを幼い頃からよく知っていたからです。そして言いました。『ほら、この人はあの大工の息子じゃないか、小さい時に道でよく遊んでいたあの子じゃないか』別のことばで言うなら『この人も普通の人間じゃないか』と言って、救い主であるイエスを拒否したのです。 イエスの説教の内容は『罪からの救い』でした。しかし、人々が待ち望んでいたのは、当時のユダヤを支配していたローマ帝国からの解放してくれる救い主でした。自分たちが不幸なのは、ローマ帝国のせいだと思っていたからです。主イエスは『囚われ人が解放される』という聖書のことばが『きょう、実現しました』と言われました,でも、ローマの支配のままでした。イエスは、罪からの解放を語っておられたのです。 三、イエスを拒絶する人々(ルカ4章28ー30節)
イエスのことばを聞いた人々はひどく怒り、イエスを町の外に追い出し、崖から突き落として殺そうとしました。しかしイエスは、人々の真ん中を通って町を去っていかれました。 なぜそれほど怒ったのでしょうか。貧しい者であり、捕らわれ人であり、目の見えない人であると言われたからです。人々は病気が治ること、ローマ帝国から自由になることを望みました。しかし、罪からの解放は拒否したのです。自分たちの心が病気であり、心の目が見えず、罪に捕らえられている罪の奴隷であることを認めたくなかったからです。 故郷の人々は,そのような救い主を拒絶しました。そのため、福音はユダヤ人から、異邦人に出ていきました。 聖書の話の1部分だけを喜んでも,キリストを救い主として受け入れないなら、イエスの故郷の人々と似ています。それはイエスをただの人と言っているのと同じだからです
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最終更新日 ( 2010/09/08 水曜日 15:30:38 JST )
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作者 kyokai
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2010/08/29 日曜日 01:41:48 JST |
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『心に植え付けられたられたみことばを、すなおに受け入れなさい.みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます』 (ヤコブ1章 21 礼拝メッセージ 一、息子のいやしを願う(ヨハネ4章46、47節) イエスは、サマリヤを去りガリラヤのカナを再び訪れました。カナは、イエスが最初の奇跡を行なわれた場所でした。さて、ガリラヤにイエスが戻られたことを聞いた王室の役人(ガリラヤの国主ヘロデ・アンテパスに仕える宮廷官吏)が、遠く離れたガリラヤ湖畔のカペナウムという町からイエスを訪ねてきました。この人はユダヤ人ではありませんでしたが、イエスのうわさを聞き、この方こそ、今自分が抱えている願いをかなえてくださる方に違いないと確信したのでしょう。この役人の息子はひどい病気で今にも死にそうだったのです。『息子の命を助けて下さい』役人は必死に頼みました。
二、イエスのみこころと人の願い(ヨハネ4章48、49節) 役人の願いに対し、イエスはなんとお答えになったでしょう。46節を読んでください。 イエスは、このことばをその役人だけに向けて言われたのではありません。45、46節にあるように、人々は、人々は、イエスが行なわれた奇跡をことさらに大げさに取り上げ、イエスを『すごいことができる人』としか見ず、イエスが言われた一言一言や、本当はイエスはどにようは方なのかということを深く心に留めようとしませんでした.このことを悲しんでおられたイエスは、役人に、ご自分が神の独り子であり救い主であることをまず信じ、ただそのことのゆえに信頼するよう求められたのでしょう。 役人は、イエスのことばを受け入れました。49節を見ましょう。役人はイエスに『主よ』と呼びかけ、再び、素直に自分の願いを申し上げました。
三、イエスのみことばを信じる。(ヨハネ4章50ー54節) それに対しイエスは『あなたの息子は直っています』と言われました。50節を読みましょう。役人は『本当でしょうね』と念を押したでしょうか『信じられません。証拠を示してください』と言ったでしょうか長い道のりを、疑いと不安で心を暗くしながら家路についたでしょうか。いいえ『その人は、イエスが言われたことばを信じて、帰路についた』と書かれています。役人は、元気になった息子の姿を見る前に『治った』』というイエスの言葉に信頼を置いて、安心して帰ったのです。 主は信じる者を決して失望させず、最善に導いてくださると聖書は繰り返し約束しています。私たちも、そのおことばを信じて、素直に主に祈り、心配せずに主のお任せしましょう。どんなに祈っても、いつまでも疑ったり不安がっていたりしたら、主は悲しまれます。 さて、役人とその家族はどうなったでしょう。51ー53節を読みましょう。主は、信じる者に必ず報いてくださる方です。役人は、イエスが救い主であることを改めて確信し、家族もまたイエスを信じたのです。
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最終更新日 ( 2010/09/05 日曜日 18:21:28 JST )
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作者 kyokai
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2010/08/22 日曜日 10:50:08 JST |
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わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません (ヨハネ4章14節) Whoever drinks the water I give him will never thirst. (John 4 : 14 ) New International Version. 礼拝メッセージ 一、サマリヤの女の渇き(ヨハネ4章1−18節)
イエスがサマリヤを通られたのは、サマリヤ人に対して偏見を持っておられなかったことを示します。ここで一人の罪深い女性に出会うように聖霊の導きを受けておられたとも考えられます。このことによって、サマリヤ伝道の道が開かれたのです。 『時は6時頃とあるのはユダヤ的な時刻の呼び方で、現在の『昼の12時頃』です。この女は、人が働かない真昼の炎天下、人目を避けて水を汲みにきました。彼女には、そうしなければならない理由がありました。 『どうしてサマリヤの女の私に……』という彼女の驚きには幾つかの意味があります。まず、ユダヤ人とサマリヤ人のつき合いの問題。ラビが女性に語りかけるのは罪とさえ見なされていたこと、器を持っておられないイエスが水を求められたこと (11節。7節は言外に「あなたの器で」という意味が含まれています。ユダヤ人はサマリヤ人と同じ器を使いませんでした。 イエスは彼女の心の渇きに気づき、それは神の賜物である『生ける水』即ち『永遠のいのちの水』によってしか解決しないことを教えられましたが、彼女には理解できませんでした。『わたしが与える水を飲む者はだれでも……』(14節) 即ちイエスを救い主と信じる者には、永遠のいのちが与えられるのです。
二、本当の礼拝(ヨハネ4章16ー26節)
魂の渇きの原因が明るみに出されます。私生活が見透かされた女は自分の罪を認め、真の礼拝についての質問を始めました。サマリヤ人が礼拝するゲリジム山か、ユダヤ人が礼拝するエルサレムか、自分はどちらで罪のためのいけにえをささげたらよいのかという真剣な問いかけです。しかし、イエスは、今や特定の場所ではなく、どこででも『霊とまことによって礼拝』する時が来ていると教え(マラキ1章11節 参照)、彼女のメシヤ来臨待望の発言に対して『このわたしがそれです』と告げられました。 三、サマリヤの女のあかし(ヨハネ4章27−30、39ー42節)
女は水瓶をそこに置いたまま(人々を連れて来るため)、町に向かいました。人目を避けて生活していた女が、自分から出て行って『来て、見てください』とあかしする者となったのです。人々は女の証言によってイエスを信じたのです。さらに多くの人々が『イエスの言葉によって』信じました。
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最終更新日 ( 2010/08/29 日曜日 14:05:08 JST )
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