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(2017-03-18の週報より)

「十字架により開かれた救いの道(マタイ27章33−53節)」

  

一、十字架に周囲の人々(マタイ27章33−44節)

 ピラトの兵士たちは、処刑場であるゴルゴタの丘に着いてから、主イエスに苦味のあるぶどう酒を飲ませようとしました。これは苦しみを和らげる薬が入っていましたが,イエスはそれをなめただけで、飲もうとはなさいませんでした。これから受ける十字架の刑罰の苦しみを、真正面からきちんと受け止めよとなさったのです。

 イエスを十字架につけると,兵士たちはくじをひいてイエスの着物を分け合いました。十字架の上には,イエスを馬鹿にしてあざ笑う為に『これはユダヤ人の王イエスである』と言う罪状書きを掲げました。

 道行く人々は、イエスに、口々にののしり声を浴びせ,祭司長や律法学者、長老たちも一緒になってあざけりました。イエスの隣で,同じように十字架に十字架につけられた強盗たちまでもが、主イエスをののしりました。大勢の人々の罵声を浴びながら、主イエスはただ黙っておられました。決して言い返したり,反論することなく,私たちが当然受けるべき罪の苦しみを,ご自分がすべて背負われたのです。

二、主イエスの死(45−53節)

 昼の12時から,突然辺りが真っ暗になりました。この暗闇は何時間も続きましたが,午後三時頃ごろ主イエスは,沈黙を破って大声で叫ばれました。十字架の上で負われた肉体の苦しみは、私たちの想像を絶するものです。しかし、それ以上に,イエスを苦しめたのは、父なる神が御顔を背け,イエスをお見捨てになったことでした。罪から来る審判は,神との関係が絶たれることです。それは絶望以外の何ものでもありません。これこそが、罪からくる苦しみの極みなのです。主イエスは、暗闇の中で,この苦しみを,私たちに,代わって味わい尽くされたのです。しかし人々は,そのような主イエスの御心をまったく理解できず。『エリ,エリ』ということばの響きから,イエスが預言者エリヤを呼んでいるのだと勘違いをしました.イエスは、もう一度叫んで息を引き取られました。その時、神殿の幕が上から下まで二つに避け,地面が揺れて岩が避けました。これは,イエスの死によって,私たちの罪の贖いが完全に成し遂げられたことを意味しています。

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