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(2017-01-23の週報より)

「聖霊による一致」

  

一、聖霊の賜物について(1コリント12章)

 私たちが,今こうしてイエスを救い主として信じていること、信仰を持っていることを不思議に思ったことはありませか。私たちが, イエスを主と告白することができたのは、決して私たちの努力によるのではありません。主から与えられた御霊のお働きによるのです。

私たちクリスチャンの信仰は,一人一人の心の内に住んでくださる御霊ご自身が芽生えさせ、保ってくださるのです.このことを,先ず聢りと覚えておきましょう。私たちの力では,クリスチャンの歩みを1歩も進めることはできません。逆に言えば、へりくだって御霊に声に耳を傾けるならば、誰でも救われ,主の恵みの生活を送る事が出来るのです。

 それでは,クリスチャンがそれぞれ心に与えられた御霊は一人のお方なのですから、クリスチャンの歩みは誰でも同じ様なものでしょうか。いいえ、4節を読んでください。御霊は,私たち一人一人に異なる賜物を与えてくださいました。ですから、それぞれ性格も能力も感じ方も違っていて当然なのです。クリスチャンは皆,自分だけに与えられた賜物を用いて,自分だけの方法で主のために働き、奉仕をするのです。このことをパウロはとても面白いたとえを用いて説明しています。12−16節を読みましょう。私たちの身体の器官が一つ一つ異なった働きをすることによって,体全体の健康を保っているように、私たちもキリストのからだの器官としてそれぞれの異なった働きをもって,主の御栄光を表すのです。

二、愛によって(エペソ4章1−16節)

 私たち人間は、自分と異なる人をなかなか受け入れることができません。あなたのすきな友人を一人一人思い浮かべてみてください。趣味も、関心も、考え方も、あなたととても似ているのではないのでしょうか。似ているからこそ、努力しないでも仲良くすることができるのではないでしょうか。でも、主は,私たちクリスチャンにそれぞれ異なった賜物を与え,教会を個性の全く違う人たちの

集まりとなさったのです。そしてキリストのからだに連なる者として,一致するすることを期待しておられるのです。ところが現実には,私たちは、自分と違う人と共に集い、働くうちに『どうして?』と思うことがあるでしょう。反感を感じたり、傷つくこともあるかもあるかもしれません。しかし、主があえて私たちクリスチャンをそのような集まりにしたのには理由があります。それは。私たちが御霊の働に頼りつつ,互いの一致を保つために、忍耐して愛を行うためなのです。

 聖書の云う愛とは、私たちの好き嫌いの感情を超えたものです。そしてそれが私たちの内にはありません。主ご自身熱心に祈り求め,与えられて頂かなければならないにです。主は、クリスチャンの集まりを、その愛を実践する場としてくださったのです。16節を読んでください。私たちは個性豊かな集団として互いにしっかりと団結し,愛し合うようにしてくださるのは、キリストご自身です。キリストを見上げ、愛を願い求めながら,教会が一致して歩んで行くことができることを祈りましょう。

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